株式会社ヤスサキ(Yasusaki CO.,LTD.)は、福井県や石川県を中心に北陸地方で、衣料品店、スーパーマーケット、GMS、ホームセンターなどを店舗展開する企業。
かつてはダイエーと提携していたが、同社の経営悪化で提携を解消した。
安崎政士が[1]1948年(昭和23年)4月に小間物店を開いたのが始まりである[2]。
1961年(昭和36年)に参加した流通業界のセミナーで米国式のセルフサービス式で大量仕入れ・大量販売を行う「衣料スーパー」に興味を持ち[2]、関西の仕入先からもスーパーの運営方法を学んだ後[2]、1962年(昭和37年)5月10日に衣料品スーパーのヤスサキ松本店を開店した[3]。
1966年(昭和41年)に法人化して当初は衣料スーパーを中心に展開して大量販売体制の構築を進めた[2]。
昭和50年代に生活全般をカバーすることを目指して多くの業態を展開する多角化に取り組むなど[2]利益の出る分野へ主力業態を転換していく経営戦略を採り[1]、食品分野への進出時にはダイエーと提携して指導を受けた[2]。
また、タカラブネ (現・不二家神戸) のフランチャイズ店を出店したほか、ホームセンターへの進出時には同業界大手のカーマ (現・DCM)[4] の指導を受けるなど、多角化について他社との提携を活用した[2]。
立地環境や競合状況に応じて既存店の改装のみならず廃止・移転を躊躇なく行う積極的な店舗展開を進めて[2]、都市周辺や郡部などを重点地域として地域一番店を目指す出店戦略を採り[2]、米国型のショッピングセンターなどを展開するようになった[1]。
展開する店舗
- 鉄骨造り2階建て[11]・延べ床面積16,689m2[11]、店舗面積14,409m2[11]
- 食料品と衣料品中心のA棟とホームセンターのB棟からなり、B棟2階には1997年(平成9年)12月20日に「ネオジオボウル」が開業した[12]。
過去に存在した店舗
衣料
- 売場面積120m2[3]。
- 衣料品スーパー[3]。
- 旧:ヤスサキ松本店 (新店)、旧:マイフーズ松本店[要出典]
- 食品スーパーへの業態変更に伴い衣料部門を隣接地へ移転、ヤスサキ松本店ファッション館として再オープン。[要出典]
- 売場面積265m2[3]。
- 衣料品スーパー[3]。
- かつては本社が置かれていた[13]。
- 旧 : ヤスサキ観音町店 (新店)、パリオ店への統廃合伴い閉店。[要出典]
- 敷地面積7,920m2[15]、鉄骨コンクリート造り2階建て[15]・延べ床面積5,362m2[15]、店舗面積約4,160m2[15](ヤスサキ店舗面積約1,419m2[14])。
- 都市計画街路元禄線沿いの[16]準工業地域にあった工場跡地に建設されたショッピングセンターで[17]、核店舗として出店していた[18]。
- ザ・プライス撤退後に新規再オープン。[要出典]
- 敷地面積約3,960m2[19]、鉄骨造り2階建て[19]、延べ床面積約4,518m2[19]、店舗面積約3,370m2[19](当社店舗面積約1,221m2[19])、駐車台数約180台[19]。
- スーパーセンターモリモトの核店舗としてがF·バザール(約1,221m2)と共に核店舗として出店していたのち[19]「エム・バリュー」と共に出店していた[20]。
- 旧 : ヤスサキファッションプラザ森本店、旧 : ヤスサキ森本店[要出典]
- ヤスサキ松本店ファッション館 - 現 : ダイソー松本店[要出典]
- ワイプラザファッション館鳥羽店 - 現 : ワイプラザファッション館鯖江店[要出典]
- 鯖江店への統廃合に伴い閉店。[要出典]
スーパーマーケット
- マイフーズ松本店(旧店) - 現在地へ移転。[要出典]
- マイフーズ鳥羽店[要出典]
- グルメ館鯖江店、鳥羽店への統廃合に伴い閉店。[要出典]
- 延べ床面積1,765m2[21]、店舗面積約1,483m2[21]。
- 森本店 - マイモールモリモトに入居していた。[要出典]
- 現在は三崎ストアーに売却し、[要出典]三崎ストアー森本店[22]。
- グルメ館輪島店 - ワイプラザ輪島へ移転。旧来の店舗は「サンポアグルメ館ふらっと店」に業態転換するも、2009年2月28日閉店。[要出典]
ショッピングセンター
- 鉄骨造り3階建て[23]・延べ床面積14,146m2[23]、店舗面積6,598m2[23]
- ワイプラザ鳥羽、ワイプラザ鯖江への統廃合に伴い閉店。現在はダイソー鳥羽店。[要出典]
- 2003年12月11日にワイプラザ輪島として移転。その後存続するも、2009年2月28日閉店。[要出典]
その他
- 旧 : TSUTAYA BOOKSTOREパリオCITY店、TSUTAYAに業態変更後、TSUTAYA福井パリオ店への統廃合に伴い閉店。[要出典]
- 福進チェーン - かつて参加していた商業協同組合(解散)。
- ダイエー - かつてフランチャイジーに伴う提携をしていた[6]。
- 株式会社エリナ
- 株式会社ホームセンターヤスサキ
- 株式会社パリオ
- 安崎商事株式会社
出典
“列島キーパーソン 福井県”. 日経地域情報 誌面刷新増大 1998年11月2日号 (日経産業消費研究所) (1998年11月2日).pp39
“非「植物型」小売業として広域化,多角化を進める 株式会社ヤスサキ”. 北陸経済研究 1988年11月号 (北陸経済研究所) (1988年11月).pp54-55
『日本スーパーマーケット名鑑 1970年版』 商業界、1970年。pp302
“東部SC「パリオ」完成 福井 あすオープン 専門色強い68店”. 福井新聞 (福井新聞社). (1989年11月21日). pp5
脊戸田博 下中ノボル “ショッピングシティベル(福井市)の全貌”. 商業界 1993年10月号 (商業界) (1993年10月).pp180-190
“基本調査 ′97年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1997年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年12月1日).pp14
『繊維小売年鑑 1965年版』 繊維小売年鑑刊行会、1964年11月1日。pp110
“北陸におけるボランタリーチェーン”. 北陸経済研究 1979年1月号 (北陸経済研究所) (1979年1月).pp26
“SNK,「ネオジオボウル」を千葉・福井にオープン”. アミューズメント産業 1998年1月号 (アミューズメント産業出版) (1998年1月1日).pp91-94
『帝国銀行・会社要録 第51版』 帝国興信所、1970年。pp福井31
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。pp898
“北陸の3万都市における商店街”. 北陸経済研究 1979年11月号 (北陸経済研究所) (1979年11月).pp13
村田与右衛門 “うるおいのあるまちづくり 勝山市”. 新都市 1990年12月号 (都市計画協会) (1990年12月1日).pp60
金坂清則 『福井県における昭和40年代以降の小売商業活動の変化と商圏の構造(概報)』 福井大学教育学部紀要 第3部 社会科学 第30号 (福井大学教育学部) (1981年1月31日)。pp66
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2010年。pp891
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。pp917
『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2010年版』 東洋経済新報社、2011年。pp871
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