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フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク(ドイツ語: Friedrich Wilhelm von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1785年1月4日 - 1831年2月17日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク(グリュクスボー)公(在位:1825年 - 1831年)。新グリュックスブルク家の祖。デンマーク語名はフレゼリク・ヴィルヘルム・ア・スレースヴィ・ホルステン=セナーボー=グリュクスボー(Frederik Vilhelm af Slesvig-Holsten-Sønderborg-Glücksborg)。デンマーク王クリスチャン9世の父、フレゼリク8世とギリシャ王ゲオルギオス1世の祖父、クリスチャン10世とノルウェー王ホーコン7世とギリシャ王コンスタンティノス1世とイギリス王ジョージ5世と最後のロシア皇帝ニコライ2世の曽祖父、フレゼリク9世とノルウェー王オーラヴ5世とギリシャ王ゲオルギオス2世とアレクサンドロス1世とパウロス1世とエディンバラ公フィリップとイギリス王エドワード8世とジョージ6世と最後のロシア皇太子アレクセイの高祖父。
フリードリヒ・ヴィルヘルム Friedrich Wilhelm | |
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グリュックスブルク公 | |
配偶者 | ルイーゼ・カロリーネ・フォン・ヘッセン=カッセル |
子女 | |
全名 |
一覧参照
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家名 | グリュックスブルク家 |
父親 | フリードリヒ・カール・ルートヴィヒ |
母親 | シュリーベン伯爵夫人フリーデリケ |
出生 |
1785年1月4日 神聖ローマ帝国 プロイセン王国、リンデナウ |
死亡 |
1831年2月17日(46歳没) デンマーク王国 シュレースヴィヒ公国、シュレースヴィヒ、ゴットルフ城 |
宗教 | キリスト教ルーテル教会 |
シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク家の一員でプロイセンの軍人だったベック公フリードリヒ・カール・ルートヴィヒとその妻のシュリーベン伯爵夫人フリーデリケの間の長男として、東プロイセンのリンデナウ(現在のポーランド共和国ヴァルミア=マズールィ県リポヴィナ)で生まれた。
若い頃に本家筋のデンマーク王フレゼリク6世とその王妃マリーに預けられた。フリードリヒ・ヴィルヘルムはフレゼリク6世から厚遇され、1810年には王妃の妹であるヘッセン=カッセル公女ルイーゼ・カロリーネ(デンマーク王フレゼリク5世の孫娘)と結婚し、義理の兄弟となった。
1816年、父の死に伴ってベック公爵位を相続した。1825年、王の許しを得てシュレースヴィヒ公国のグリュックスブルク城の城主となり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公を称した。古グリュックスブルク家は1779年に断絶していたため、その家名を引き継ぐ形となった。1831年、ゴットルフ城で死去した。
ルイーゼとの間に7男3女を儲けた。
先代 フリードリヒ・カール・ルートヴィヒ |
ベック公 1816年 - 1825年 |
次代 (グリュックスブルク公へ称号変更) |
先代 フリードリヒ・ハインリヒ・ヴィルヘルム (古グリュックスブルク家) |
グリュックスブルク公 1825年 - 1831年 |
次代 カール |
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