トリンプ・インターナショナル (Triumph International)は、スイス に本社を置く女性用下着 製造販売会社。1886年 にドイツ で設立され、現在では女性用下着メーカー として世界最大規模を誇る。
概要 種類, 設立 ...
トリンプ・インターナショナルTriumph International
種類
株式会社 設立
1886年 事業内容
ファンデーション、ランジェリー、ナイトウェア、ストッキング、下着、水着などの製造・販売 テンプレートを表示
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日本 現地法人 のトリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社 (Triumph International (Japan) Ltd.)も日本の下着業界で第4位に位置し、「天使のブラ」「恋するブラ」など複数のブランド を取り扱っている。
「Triumph 」は英語の発音 では「トラィアンフ 」 /ˈtɹaɪ.əmf/ 、ドイツ語の発音 では「トリウンフ」 /trɪˈʊmf/ だが、日本語での表記 としてはトリンプ自身が称している「トリンプ」が正式なものである。
1886年、ヨハン・ゴットフリート・シュピースホーファーとミヒャエル・ブラウンが、ドイツ・ホイバッハにてコルセットの製造所を設立[1] 。当初は従業員6名とミシン6台での出発であった[2] 。1890年には従業員数150名までに拡大し、1894年に初めて製品を国外輸出。1902年には、シュピースホーファーとブラウンにより、パリの凱旋門を想起させる「トリンプ」を登録商標。その後、「インターナショナル」が商標に追加される[2] 。好景気の後、1920年代にはクラシカルなコルセットの需要が減少し、会社は並行してブラジャーの製造を開始。1930年代トリンプ・インターナショナルは、さらにオールインワンの製造にも着手した[3] 。
1933年、スイスのバート・ツルツァッハに、最初の国外支社を設立[2] 。東西ドイツの分断に伴い、1949年以降トリンプ・インターナショナルの商標は、ドイツ連邦共和国で継続されていたが、そこでの事業活動はほぼ停止状態となった。しかし会社の国際化はその後も進み、1950年代からは、例えば複数のヨーロッパ諸国で支社が誕生。トリンプ・インターナショナルは更に1960年からアジア太平洋地域にも拡大し、例えば1963年には日本に初の支社が開設となった[4] 。当時を知る人は既に、コンツェルン企業の「策略的な多重構造」を見極めていたが、その中にはタックス・ヘイブンであるリヒテンシュタインとバミューダ諸島に登記されている会社もあった[5] 。1960年代の終わりには、ドイツのファウンデーション(下着)市場全体に占めるトリンプ・インターナショナルの割合は、約50%であった[6] 。
1960年代中盤、トリンプ・インターナショナルは、広範囲にわたってコンピュータ処理を導入[7] 。経済危機に伴い、会社は1970年代初頭、時短労働導入を余儀なくされるほどの危機に初めて陥った。1969年に開始したパンティーストッキング事業も打撃を受け、はや3年後には停止[8] 。同時にナイロン繊維やライクラ繊維など、より軽い生地を使用した製品の製造に初めて着手した[9] 。1970年代終わりには更に「sloggi(スロギー)」という新ブランドを投入し、以来、コットン高混率の下着やその他製品を市場展開[9] 。1977年、本社はドイツからスイスへと移転。以来、コンツェルンのホールディングの所在地はバート・ツルツァッハとなる[10] 。1986年までに売上額は約10億スイスフランに上昇。同時に中国での販売を開始し、更には1988年から旧東独にて同国市場向けに、ライセンス契約による各種トリンプ製品を製造[9] 。下着の他、水着も製造された。
フランスのメーカーである「HOM」と「Valisère」の買収により、トリンプ・インターナショナルは男性用下着、または高級ランジェリーに進出。それと同時に1995年には、将来的には親ブランドである「トリンプ」に更に注力し、その下に他の全ブランドを組み込むことを発表[11] 。1990年代には再び国際的な拡大を図り、1998年からはインド亜大陸にも進出している[12] 。最も新しい工場としては、2001年にハンガリーのドゥナウーイヴァーロシュに、生産拠点を開設[13] 。21世紀に入ってからは同国の市場で、売上高で最大のテキスタイルメーカーのひとつとなっている[14] 。
近年では自社の新規店舗や競合他社の買収により、拡大を続けている。2010年にはスイスの下着チェーン店大手のBeldonaを買収し[15] 、更にその後メキシコ及び米国でも販売業者を買収[16] 。米国では、高級小売業者「Journelle」の株式の過半数を取得し、以来、ニューヨークに3店の直営店を展開している[17] 2011年にはドイツ子会社の株式を取得し、トリンプ社は再びシュピースホーファー家とブラウン家による完全所有となった[18] [19] 。
沿革
トリンプの店舗
日本法人は1964年 に設立され、国内でトリンプブランドの下着を製造・販売している。なかでも技術力、新製品の企画開発力が高く中核的な存在となりつつある。「天使のブラ」「恋するブラ」など多くのブランドを発売している。
沿革
1964年(昭和39年): 西ドイツの「トリンプ・インターナショナル・ホールディング、ゲーエム・ベーハー」と日本の繊維会社による日独合弁企業として、社名を「インターナショナル・ファウンデーション・アンドガーメント株式会社」、資本金2500万円で設立。滋賀工場にて生産開始。
1965年(昭和40年): 本社を東京都千代田区神田神保町に構え、資本金を1億円に増資。直販方式により大手百貨店でのファウンデーション 販売を開始。
1966年(昭和41年): 大阪事務所を開設。
1967年(昭和42年): 資本金を2億5千万円に増資。福岡 事務所を開設。
1968年(昭和43年): 札幌 事務所を開設。
1969年(昭和44年): 名古屋 事務所を開設。滋賀 工場に西独より輸入の超近代的設備完成。
1970年(昭和45年): 仙台 事務所を開設。福野 工場(富山県 )の生産開始。資本金4億円に増資。
1974年(昭和49年): 「トリンプ・インターナショナル(香港 )リミテッド」が全株を保有。社名を「日本アイ・エフ・ジー株式会社」に変更。
1976年(昭和51年): 本社、東京事務所ともに東京流通センター ビルに移転。
1977年(昭和52年): 資本金6億円に増資。
1978年(昭和53年): 資本金8億円に増資。
1984年(昭和59年): 設立20周年を記念して「トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社」に社名を変更。
1986年(昭和61年): トリンプ・インターナショナル本社、設立100周年。資本金を16億円に増資。
1989年(平成元年): 株主が「トリンプ・インターナショナル・オーバーシーズ・リミテッド」となる。設立25周年を記念して企業イメージキャラクター にアメリカ のトップ女優ダイアン・レイン を起用。
1990年(平成2年): 資本金を26億円に増資。
1991年(平成3年): 各地方事務所の名称を営業所に変更。「...さん」づけ運動推進。「NO残業 デー」導入。「リフレッシュ休暇」制度導入。
1993年(平成5年): 福野工場閉鎖。
1994年(平成6年): 「天使のブラ」デビュー。「がんばるタイム」導入。滋賀工場閉鎖。
1995年(平成7年): トリンプ静岡センター(静岡県 )を開設。「カジュアル・フライデー」導入。
1997年(平成9年): トリンプアドバイザー派遣店舗1000店舗達成。トリンプ静岡センターで3年間をかけ2万本の植樹を計画。植樹祭スタート。「Tシャツ ブラ」デビュー。
1998年(平成10年): SPA型直営店舗1店舗目となる「AMO'S STYLE 三宮 店」オープン。
1999年(平成11年): トリンプ静岡センターISO 9002認証取得。設立35周年。
2000年(平成12年): 「恋するブラ」デビュー。IT 部が国際規格CMM を取得。
2001年(平成13年): SPA型直営店舗100店舗目となる「AMO'S STYLE 原宿 店」オープン。「課長代行制度」導入。
2002年(平成14年): 「禁煙 奨励制度」の導入。
2003年(平成15年): ISO9001(2000年版)に移行。
2004年(平成16年): トリンプ・インターナショナル・ジャパン株式会社、設立40周年。設立40周年記念事業の一環として「トリンプ大東センター」の増築工事開始。設立40周年を記念して女性だけのライブイベント「Truimph Lady Go Night」を実施。SPA型直営店舗200店舗目となる「COSMETIC PURE 原宿店」オープン。
2005年(平成17年): 「トリンプ大東センター」を「トリンプ静岡センター」に改称。
2006年(平成18年): 「トリンプ静岡センター」の増築が完了、正式稼動。業界初のプライバシーマーク 取得。
2008年(平成20年): トリンプ静岡センターのISO14001を認証取得。
2011年(平成23年): 「SHAPE SENSATION」デビュー。「サマータイム」導入。
2012年(平成24年)1月5日: 本社、東京事務所ともに浜離宮 三井ビルディング5階に移転。
主なブランド
天使のブラ
恋するブラ
トリンプ Tシャツブラ
寄せアゲハ
WONDER MAKE(ワンダーメイク)
freebra(フリーブラ)
SHAPE SENSATION(シェイプセンセーション)
AMO'S STYLE by Triumph(アモスタイル バイ トリンプ)
Pour moi(ポアモア)
NINA CAPIONA(ニナカピオナ)
triumph c'est ca(トリンプ セサ)
ESSENCE by Triumph(エッセンス バイ トリンプ)
Triumph JEWELING(トリンプ ジュエリング)
VALISERE(ヴァリゼール)
me closet(ミークローゼット)
sloggi(スロギー)
Solfege(ソルフェージュ)
FLORALE by Triumph(フロラーレ バイ トリンプ)
Triumph Story(トリンプストーリー)
Plesiaforte(プレジアフォルテ)
Triumph NURSE SANSATION(トリンプ ナースセンセーション)
イメージモデル
AMO’S STYLE by Triumph イメージキャラクター
ESSENCE by Triumph イメージキャラクター
FLORALE by Triumph イメージキャラクター
トリンプ・イメージガール
※2012年度から2017年度までは2人を起用していた。
キャンペーンイベント
ユニークブラジャー
時流 や話題をテーマに、自由でオリジナリティ溢れるデザインのブラジャー を毎年発表、近年は年2回の発表となっていた。「世相ブラ」と報道されることが多く、ニュース・情報番組で取り上げられた場合「なお、このブラの販売予定はありません」で〆られることが多い。2018年 限りで終了[36] 。
下着川柳
文化活動の1つとして「インナーウエア にまつわる川柳 〜ブラ川柳〜[37] 」として誕生。現在は「下着川柳」として、10年以上続けている。過去の入選作品はインナーウエアに対する切実な願いをこめたものや、その年の時勢を想起させる題材を詠んだものなど、バラエティに富んだ句が入選している。
その他
Mr. HOM(ミスター・オム)
1997年から4年間[38] にわたり選出された男性の「イメージボーイ」。1998年の受賞者は川野丹大[39] 、1999年の受賞者は伊藤裕正 である[40] 。
トリンプ 小悪魔大賞
2003年に発売された『小悪魔ブラ』の世界観にふさわしく、かつ最も"小悪魔"的な魅力を持つと認めた女性タレントを表彰するイベント。2004年に上戸彩 が、2005年にBENI (安良城紅)が受賞した。
直営販売店
トリンプショップ
トリンプ・オンラインショップ
AMO'S STYLE by Triumph(アモスタイル バイ トリンプ)
AMO'S STYLE by Triumph(アモスタイル バイ トリンプ)オンラインショップ
Lien Senteur(リアン センチュール)
“Unternehmen mit 86 Werken” (ドイツ語). Hamburger Abendblatt . (1964年12月9日)
Erich Honka (1968) (ドイツ語). Kreditorenbuchhaltung mit elektronischer Datenverarbeitung bei Triumph International . Sindelfingen: IBM Deutschland
Patrick Zehnder (2012年11月2日). “Triumph International ” (ドイツ語). hls-dhs-dss.ch . Historisches Lexikon der Schweiz. 2015年11月4日 閲覧。
“Die Dachmarke hat Priorität” (ドイツ語). TextilWirtschaft (30). (1995年)
Jörg Nowicki (2008年). “Die neue Handelsmacht” (ドイツ語). TextilWirtschaft (7): p. 32
Ulrike Wollenschläger (2003年). “Die größten deutschen Textilhersteller” (ドイツ語). TextilWirtschaft (49): p. 49
Renate Platen (2010年). “Triumph übernimmt Beldona” (ドイツ語). TextilWirtschaft (38): p. 7
Sabine Spieler (2012年). “Triumph baut Amerika-Geschäft aus” (ドイツ語). TextilWirtschaft (49): p. 38
Janine Damm (2013年). “Triumph startet Offensive im US-Markt” (ドイツ語). TextilWirtschaft (32): p. 13
Martina Metzner (2011年). “Zwei Familien, eine Krone” (ドイツ語). TextilWirtschaft (7): pp. 22–25