フィレンツェおよびトスカーナの支配者の一覧。括弧内は在位年。
- ボニファーチ家
- もともとはルッカ伯であったが、次第に領土を拡大させていった。
- ボニファーチョ1世(Bonifacio I di Toscana)(812年 - 813年)
- ボニファーチョ2世(Bonifacio II di Toscana)(828年 - 834年) - ボニファーチョ1世の子
- アガーノ(Agano)(835年 - 845年) - 家系ではない
- アダルベルト1世(Adalberto I di Toscana)(847年 - 886年) - ボニファーチョ2世の子
- アダルベルト2世(Adalberto II di Toscana)(886年 - 915年) - アダルベルト1世の子
- グイード(Guido di Toscana)(915年 - 929年) - アダルベルト2世の子
- ランベルト(Lamberto di Toscana)(929年 - 931年) - アダルベルト2世の子
- アルル家
- イタリア王ウーゴは、前トスカーナ辺境伯家を排除し、自らの親族に辺境伯位を与えた。
- ボゾーネ(931年 - 936年) - イタリア王ウーゴの弟、ランベルトの異父兄
- ウベルト(Uberto di Toscana)(936年 - 961年) - イタリア王ウーゴの庶子
- ウーゴ(Ugo di Toscana, il Grande)(961年 - 1001年) - ウベルトの子
- 諸家
- ボニファーチョ3世(Bonifacio III di Toscana)(1002年 - 1012年) - ボローニャ伯
- ラニエーリ・ディ・トスカーナ(Ranieri di Toscana)(1014年 - 1024年) - スポレート公(1010年 - 1020年頃)
- カノッサ家
- 諸家
- コジモ・デ・メディチ(イル・ヴェッキオ)(Cosimo de'Medici) (1434年 - 1464年)
- ピエロ・デ・メディチ(イル・ゴットーソ) (Piero I de'Medici)(1464年 - 1469年)
- ロレンツォ・デ・メディチ(イル・マニフィコ)(Lorenzo de'Medici) (1469年 - 1492年)
- ピエロ・デ・メディチ(イル・ファトゥオ)(Piero II de'Medici)(1492年 - 1494年)- 市民により追放
- 共和制に復帰(1494年 - 1512年)
- ジローラモ・サヴォナローラ (Girolamo Savonarola) (市政府のメンバーではないが、神権政治を主張して市政府を事実上コントロールした)(1494年 - 1498年) - 失脚・処刑
- ピエロ・ソデリーニ (Pier Soderini) (市政府の長として新設された正義の旗手に就任)(1502年 - 1512年) - メディチ家の復帰により亡命
- ジョヴァンニ・デ・メディチ (Cardinale Giovanni de'Medici) (1512年 - 1513年) - 教皇(レオ10世)に選出されたためローマに移る
- ジュリアーノ・デ・メディチ(ヌムール公爵) (Giuliano Duca di Nemours) (1513年 - 1516年)
- ロレンツォ・デ・メディチ(ウルビーノ公爵) (Lorenzo Duca di Urbino) (1516年 - 1518年)
- ジュリオ・デ・メディチ (Cardinale Giulio de' Medici) (1519年 - 1523年) - 教皇(クレメンス7世)に選出されたためローマに移る
- イッポーリト・デ・メディチ (Cardinale Ippolito de' Medici) (1523年 - 1527年) - 市民により追放
- アレッサンドロ・デ・メディチ (Alessandro de' Medici) (1523年 - 1527年) - 市民により追放
- 共和制に復帰(1527年 - 1530年)
- アレッサンドロ・デ・メディチ (Alessandro de' Medici) (1530年 - 1532年) - ドイツの支援でフィレンツェに復帰、1532年にフィレンツェ公爵に封じられる
- アレッサンドロ・デ・メディチ (Alessandro de' Medici) (1531年 - 1537年) - 暗殺される
- コジモ1世・デ・メディチ (Cosimo I de' Medici) (1537年 - 1569年) - 1569年にトスカーナ大公になる
- フランチェスコ・ステーファノ (Francesco Stefano) (1737年 - 1765年) - 神聖ローマ皇帝となる
- ピエトロ・レオポルド (Pietro Leopoldo) (1765年 - 1790年) - 神聖ローマ皇帝となる
- フェルディナンド3世 (Ferdinando III) (1790年 - 1801年) - ナポレオンの侵略による追放
- ルイージ (Luigi)(1801年 - 1803年)
- カルロ・ルイージ (Carlo Luigi) (1803年 - 1807年)
- エリザ・ボナパルト (Elisa Bonaparte Baciocchi) (1809年 - 1814年)
1860年、トスカーナ大公国はサルデーニャ王国に併合され、滅亡した。現在、ジギスムント・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲンがトスカーナ大公の継承権を主張している。