サヴォワ「サヴォワ」の地名は、ラテン語のサパウディア(Sapaudia)に由来する。「サパウディア」は「サピン + ヴィディア」で、sapin は「樅の木」を、-vidiā は「森」を意味することから、Sapaudia で「樅の森」ないし「樅の森の国」を意味する。サパウディアの名は西ロ
サヴォワ県サヴォワ(イタリア語ではサヴォイア)という地名は、歴史家マルケリヌス・アンミアヌスが354年に記したラテン語のサパウディア(Sapaudia)に由来する。ガリア人は一帯をサポ(Sapo)と呼んだ。どちらも「毛皮の国」を意味していた。この名が、サバウディア(Sabaudia)、サボグ
オート=サヴォワ県爵率いる41人のサヴォイア代表団に触発されたようである · 。 サヴォワ(Savoie、イタリア語ではSavoia)とは、古代のサパウディア(Sapaudia、サパン人の国)からきている。名前はその後Sabaudia、Sabogla、Saboia、Savogiaとなり、最終的にSavoieとなった。12世紀の
ヴォルムスたニーベルンゲンの歌を始めとする物語がそれをヴォルムスとしているのは、確かな伝承によったからであろう。同国の滅亡を生き延びた人々は、443年’Sapaudia’(サヴォワ)に移住させられた。この地はアラマン人が支配したが、496年かれらはフランク族に屈服し、ライン川上流地帯に後退した 。
ブルグント人文献ではその理由を見つけることができないが、ブルグント人は再びフォエデラティの地位を与えられ、443年、将軍アエティウスによって「サパウディア」(Sapaudia)地域に再び移住させられた。正確な場所は定かではないが、サパウディアは現代のサヴォイに対応し、ブルグント人はおそらく「ルグドゥヌム」(Lugd