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アメリカ合衆国が開発した軽戦車 ウィキペディアから
M5軽戦車(英語: Light Tank M5)は、アメリカ合衆国で開発され、第二次世界大戦中連合国軍が使用した軽戦車。M3軽戦車の改良型。M3軽戦車と同じ、スチュアートのニックネームで呼ばれていた。イギリス軍では、特にスチュアートVIとしてM3軽戦車と区別された。
1941年3月に生産が開始されたM3軽戦車は、当初コンチネンタル社製のガソリンエンジンを搭載していたが、このエンジンの供給が追いつかなくなってきたため、1941年7月からギバースン社製のディーゼルエンジンを搭載した型も併行生産されるようになった。しかしながら、ディーゼルエンジン型には問題もあり生産数も少なかった。こうした状況でゼネラルモータース社より、同社の高級車ブランドであるキャデラックに搭載されている4ストロークV型8気筒液冷ガソリンエンジン2基と、同じくキャデラックとオールズモビルに搭載されたオートマチックトランスミッションの「Hydramatic」2基をM3軽戦車に搭載する改良案が提示された。この改良案は承認され、M3E2の形式名が与えられて評価試験が行われた結果、1942年2月にM5軽戦車として制式採用された。
M5軽戦車は、エンジン2基を搭載するという関係でエンジンルームが大きくなり、前部車体より一段高くなっている。その一方、内部の居住性はM3軽戦車より改善しており、砲弾搭載数、燃料積載量も増加している。また、車体は単純な箱型形状となり、車体前面装甲は傾斜装甲が採用されている。M5は、1942年3月から12月まで2,074両が生産された。
M5の生産が開始された後、M3軽戦車にM5の技術がフィードバックされ、改良型のM3A3として制式化された(1942年8月)。そして、M3A3で新規採用された新型砲塔などの技術を今度はM5軽戦車に適用したタイプがM5A1であり、1942年9月に制式化された。M5A1の生産は1943年になってから行われたが、1944年6月までの間に6,810両が生産された。
M5軽戦車は1942年11月に北アフリカ戦線で実戦投入され、その後もイタリア戦線、ヨーロッパ戦線に投入されたが、ドイツ国防軍の戦車の攻撃力・防御力が急速に増大したため、ヨーロッパ戦域では主に偵察任務や後方任務で使用され、対戦車戦に投入される機会は少なかった。一方、太平洋戦域では日本軍の戦車を相手に互角の戦いを行う事ができた。
戦後、余剰となったM5およびM5A1はM3A1やM3A3と共に友好国に供与されるなどし、1950年代、60年代に発生した世界各地の紛争に投入された。1949年には、中華民国軍(台湾軍)に配備されていたM5軽戦車が、中華民国支配地域の金門島に侵攻した中国人民解放軍の撃退に大きな働きをし、中華民国軍から「金門之熊(金門のクマ)」の称号を与えられた。この戦いで使われた戦車は、現在も記念碑として金門島に飾られている。
田宮模型から発売されているM5A1軽戦車のプラモデルには、「ヘッジホッグ」(hedgehog、ハリネズミの意)のニックネームが付けられているが、これは、アメリカ軍がノルマンディー周辺(フランスの西部)で、低木や潅木の茂みや生垣(ボカージュ)を突破しやすくする為に、戦車や装甲車の車体先端に取り付けた鋤状の器材である「ヘッジロウカッター」(Hedgerow Cutter)を装着した車両に対してのニックネーム(あるいは、ヘッジロウカッターを装着した特定の車両固有のニックネーム)と思われる(このプラモデルは、ヘッジロウカッター装着状態を製作出来るようになっている)。M5/M5A1軽戦車全般に対するニックネームとしては、前述のように、「スチュアート」あるいは「ゼネラル・スチュアート」が一般的である。
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