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Capitão-mor
ウィキペディアから
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カピタン・モール
カピタン・モール(pt:
Capitão
-
mor
)は、 16世紀から19世紀にかけてのポルトガルに存在した民兵的組織オルデナンサス(pt:ordenanças)の指揮官。他にポルトガル海軍の指揮官の階級名としても用いられた。 ポルトガル海上帝国の在外領土の管理者の役職名。重要度で劣る(総督や副王を置くほどではない)土地に配された。
副王
ポルトガル海上帝国の植民地は交易拠点・海軍拠点として設けられた小規模なものが多く、それらはカピタン(
Capitão
)やカピタン・モール(
Capitão
-
mor
)が管理者として置かれていた。しかし特に重要性の高い物には副王(vice-rei)が置かれていた。
マカオの歴史
国の官吏がマカオ内に自由に出入りしていた。 ポルトガル側の行政機構としては、インド副王が治めるポルトガル領インドに属し、カピタン・モール(
Capitão
Mor
)が責任者であった。1583年に市(cidade)に昇格し、翌年には議会設置が承認された。カトリックの布教区では、1579年にマカオ司教区
カピタニア制
(1494年)の分割線上まで、内陸に細長く伸びるように広がっていた。そして、それぞれの土地は、一人のカピタン・モール
capitão
-
mor
またはカピターノ・ドナータリオ
capitão
-donatárioに与えられた。彼らは貴族である場合とそうでない場合があった。 だが、島と違って、広大な大地をカピタニア制で統治することは難しかった。
ノサ・セニョーラ・ダ・グラサ号事件
チャンパ)(中国語版)に派遣した朱印船がマカオに越冬寄港中に、日本人船員が取引をめぐって騒擾事件を起こし、それをマカオのカピタン・モール(
Capitão
Mor
、総司令官)であったアンドレ・ペソア(André Pessoa)が鎮圧し、このために日本人側に多数の死者が出たことであった。