小規模拠点への輸送需要が漸減し拠点間大量輸送の比重が相対的に高じたこと、タキ1000形の製作進展により最高速度 95 km/h の高速石油専用列車が増加してきたことから、相対的に車両数が少なく、かつ、最高速度が 75 km/h にとどまる本形式の使用頻度は次第に減少し、需要の増加する冬季の臨時輸送を主体とした使用形態に推移していった。
1985年(昭和60年)には、山陽新幹線開業時に増備された0系を置き換えるため、後継車両として100系が開発されたが、0系の増備は国鉄分割民営化直前の1986年(昭和61年)4月まで続けられた。 1986年(昭和61年)に最高速度を開業当初からの210 km/h から220 km/h に引き上げ、ATC作動速度も210