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龍村 平藏(たつむら へいぞう)は、日本の染織家。
名前は累代にわたって襲名されており、初代から五代まで存在する。各人とも、法隆寺、正倉院に伝わる古代裂など伝統的な織物の研究に尽力した。
龍村平藏(1876年11月14日-1962年4月11日) 初代龍村平藏は1876年(明治9年)、大阪博労町(現・大阪市中央区)の両替商平野屋の平野屋平兵衛の孫として生まれる。幼時から茶道、華道、謡、仕舞、俳諧と文芸美術の豊かな環境の中で育った彼は、とりわけ俳諧において非凡なる才能を発揮[要出典]。
初代龍村平藏が16歳の時、祖父が死去。これをきっかけに家業が傾きはじめたことから、彼は退学し、西陣にて呉服商の道へと進む。当初は販売に従事していたものの、徐々に織物の技術研究に没頭するようになった。1894年(明治27年)、18歳で織元として独立。商売も順調に拡大し、30代という若さで「高浪織」や「纐纈(こうけち)織」など数々の特許を取得、周囲に衝撃を与えた。
1954年、当時の皇太子成婚の際にクリスチャン・ディオールは絹地に鳳凰や龍を金糸や銀糸等で織り込んだ龍村美術織物の生地を婚礼パレードのドレス(ローブデコルテ)に採用した[1]。
初代をモデルにした小説として宮尾登美子の『錦』(2008年)がある。
龍村謙(1905年 - 1978年)
龍村元(1923年 - 2005年)
龍村旻(1947年 - 2023年)
龍村育(1973年 - )
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