黒田英雄

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黒田英雄

黒田 英雄(くろだ ひでお、1879年明治12年)9月2日 - 1956年昭和31年)11月1日[1])は、日本大蔵官僚政治家大蔵次官貴族院議員参議院議員

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黒田英雄

経歴

岡山県出身。岡山県会議員で旧津山藩家老黒田一道の長男として生まれる。開成中学第一高等学校を経て、1905年7月、東京帝国大学法科大学法律学科(英法)を優等で卒業し、銀時計を授与された。大蔵省に入り大蔵属として理財局参事官付となる。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。

1905年12月、税務監督局税務属兼大蔵属に就任し東京税務監督局に配属。以後、税務監督局事務官、丸亀税務監督局長、大蔵省参事官専売局主事兼大蔵省参事官、兼大蔵大臣秘書官理財局国庫課長、大蔵省銀行局長、同主税局長などを歴任。

1927年4月、大蔵次官に就任し、1929年7月まで在任。大東京鉄道会社社長を経て、1931年12月、大蔵次官に再任された。1934年5月、帝人事件により休職となるが、1937年12月に無罪判決を受けて退官した。

1932年12月23日、貴族院勅選議員に任じられ[2]無所属倶楽部に属し1947年5月2日の貴族院廃止まで在任[1]。その他、鉄道会議議員、酒販組合中央会会長などを務めた。

戦後、1947年4月、第1回参議院議員通常選挙岡山県選挙区日本自由党から出馬し当選。1953年4月の第3回参議院議員通常選挙には出馬せず引退し、参議院議員を1期務めた。その他、参議院財政及び金融委員長、参議院仮議長東洋火災海上保険社長、財団法人・開成学園園長などを歴任。

1956年11月1日死去、77歳。死没日をもって正四位から従三位に叙される[3]。墓所は谷中霊園(甲3-8)

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

参考文献

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