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黄帝陵(こうていりょう)は、中華人民共和国陝西省延安市黄陵県に位置する陵墓遺跡である。中華民族の始祖とされる黄帝は、伝説によれば薨去の際に衣服と冠だけを残して昇天したといわれ、「衣冠塚」と呼ばれる。
陵は黄陵県の城北に位置している。1961年には国務院により、初の全国重点文物保護単位に指定され、「古墓葬第一号」に分類されて「天下第一陵」と称された。古くは「橋陵」とよばれ、歴代帝王と著名人がここで祭祀を執り行った。中華人民共和国国家重点風景名勝区(2002年認定)[1]、中国の5A級観光地(2007年認定)でもある[2]。
記録によれば、黄帝陵への最初期の祭祀は紀元前442年に始まったとされる。唐代宗9年、初めて廟が建立され、以後、歴代王朝は絶え間なく国家をあげて大祭を挙行した。最近の修復は1993年に開始されている。「黄帝陵基金会」が修復工事資金を獲得するため立ち上げられ、修復工程の第1期は2001年8月に竣工している。また、2004年には黄帝陵祭祀国家公祭が再開した。
景区の面積は約333ヘクタールに及ぶ。そこには6万本を超える古柏が含まれている。そのうち3万本は樹齢1000年以上で、中国で最も保存状態の良い古柏群となっている。特に古い樹齢5000年とされる木は「黄帝が直接植えた木」と紹介されている[3]。景区は陵墓区と軒轅廟(けんえんびょう)とに分けられる。
陵墓区: 陵に通じる石道の右側には「下馬石」があり、上には「文武官員至此下馬」と書かれている。陵の近くには「漢武仙台」がある。伝説によれば漢の武帝が匈奴への北伐から帰還したとき、黄帝陵に立ち寄り、祭祀を主宰して築造したものだという。
現在の陵は高さ3.6m、円周48mで周囲を煉瓦壁に囲まれている。明朝時代の石碑「橋山龍馭」が南接して建っており、東側には57人の皇帝が祭文を刻んだ石碑が残されている。西側には香港マカオ返還を記念して建てられた記念碑が建っている。
陵の正殿は「人文初祖大殿」といい、内部には皇帝のレリーフ彫刻があり、龕の四周は青龍、白虎、朱雀、玄武の四霊によって装飾されている。記念亭には近現代の中国指導者、孫文、蔣介石、毛沢東、鄧小平によって献納された銘文が飾られている。墓前には祭祀亭があり、中央には「黄帝陵」の3文字を刻んだ石碑が建っている。もとは蔣介石が日中戦争中に建てたものであるが、1956年に表面を削り取られ、1963年に郭沫若によって新たな銘が彫られた。
軒轅廟: 祭祀大殿の別部分を構成し、1993年以後に再建された建造物の一部である。面積は8000平米で完全な花崗岩で作られている。
歴代帝王は黄帝陵を尊崇し、その多くが皇帝自ら記した「御製祝文」を携えた重臣を派遣した。
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