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鹿島 俊郎(かしま としろう、1925年7月8日 - 1960年1月31日)は日本の宗教家。普明会教団創立者・初代会長。
1925年(大正14年)7月8日、熊本県熊本市に生まれる。1939年(昭和14年)叔母の導きにより霊友会に入会。1944年(昭和19年)4月、横浜高等工業学校(現横浜国立大学)入学。霊友会第七支部の傘下だった横浜支部(公称2万人)の導き親となる(後、横浜支部は鹿島監督下において4支部に分立)。1947年(昭和22年)3月、横浜高等工業学校卒業。同年4月、霊友会職員となり、久保継成の家庭教師となるかたわら、教団の組織・教義の研修、信徒の指導にあたる。一方で、霊友会の法華経の教えに限界と疑問を感じ始め、戸次貞雄の著書に巡り会い、霊友会と戸次との関係を知る。
1949年(昭和24年)11月3日、普明会創立の神示を受け、翌日、霊友会を脱会。11月16日、普明会設立登記。11月23日、戸次のもとに参じる。1951年(昭和26年)6月18日、普明会本部道場完成。1952年(昭和27年)9月17日、第1回大祭。同年10月23日、宗教法人法による普明会教団設立登記。1956年(昭和31年)8月4日、天界に戻る旨の神示を受ける。1959年(昭和34年)6月6日、全国行脚に出発(最終第3次行脚11月24日迄)。1960年(昭和35年)1月31日、福島県幕川金神滝で修行中に逝去。
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