鳴子火山群
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直径約7kmの不鮮明な輪郭をもつカルデラとその中央部の溶岩ドーム群からなる活火山。溶岩ドーム群は、直径約400mの火口湖「潟沼」を取り囲む様に位置し、南東から北西に連なる尾ヶ岳(おがたけ, 470.3m)、中ノ岳(なかのだけ, 440m)、胡桃ヶ岳(くるみがたけ, 461.4m)、その北西に位置する松ヶ峰(まつがみね, 368m)[2]、西に連なる鳥谷ヶ森(とやがもり, 394m)などで構成される[3]。最高点は尾ヶ岳(470.3m)。
現在も潟沼の内外や、その西側の鳥谷ヶ森の壁では盛んな噴気活動が見られる。
火山体の基盤は砂礫層で、胡桃ヶ岳-松ヶ峰間の標高340mまで砂礫層が露出する。鳴子火山噴出物の一部は、鳴子湖成層に凝灰岩として挟まれ、一部は明らかに湖成層上に堆積し、湖盆から火山活動が始まったことを示している[2]。
鳴子火山のうち、鳥谷ヶ森は溶岩直下の砂礫層中の樹幹の年代測定により、約11,800年前頃から開始したと推定される。また、山麓部では腐植土中に鳴子火山起源の火山灰が分布しており、その噴出年代は約5,400年前以降と推定される[3]。溶岩ドーム形成後の地熱活動により、2,000〜3,000年前に水蒸気爆発が発生している[4]。尾ヶ岳・胡桃ヶ岳の円頂丘が形成された後、松ヶ峰・鳥谷ヶ森の盾状火山が形成されたと考えられる[2]。これらの溶岩ドーム群のほか、周辺には溶岩流、10個以上の爆裂火口などもみられ、小規模ながらも火山としてのさまざまな地形、地質現象に富む。
過去の火山活動の様子は3つに大別される[5]。
837年(承和4年):『続日本後紀』に噴火活動に伴う温泉流出の記述があり[9]、降下火山灰層から水蒸気爆発と見られる[1]。
正史には玉造の温泉石神、温泉神の2柱が登場する。837年に温泉石神の噴火を伝え、6年後の843年に温泉神が神階の陞叙を受けている。噴火の記録には「鎮謝災異、教誘夷狄」の記述があり、大和朝廷による蝦夷征服との関連がうかがえる。
仙台藩が安永年間にまとめた『風土記御用書出』には、大口村分に嶽山として「大くわ山(尾ヶ岳)」「くるミ嶽(胡桃ヶ岳)」の表記が、鳴子村分に御林として「鳥屋ヶ森御林(鳥谷ヶ森)」の表記がある[11]。鳴子村は岩出山伊達氏の知行地だが、御林は仙台藩が直接管理し保護していた[12]。
1902年時点で噴気孔での硫黄の採掘が行なわれていた[13]。太平洋戦争がはじまると潟沼の北岸に硫黄製錬所ができた[14]。上野々スキー場と合わせ、鳴子火山群の外輪山を巡るルートがスキーツアーコースとして知られた[15][16]。
胡桃ヶ岳、中ノ岳[注釈 1]、松ヶ峰に地元の有志の方々が整備する登山コースがある。中ノ岳は眺望が良く、潟沼だけでなく、川渡方面へ大崎耕土が一望できる。
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