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孝宗(ヒョジョン、こうそう、1619年7月3日 - 1659年6月23日)は、李氏朝鮮の第17代国王(在位:1649年 - 1659年)。諱は淏(ホ、호)。即位前は鳳林大君(ポンリムデグン、ほうりんだいくん)だった。号は竹梧(チュゴ、ちくご、죽오)。
父・仁祖が清の皇帝ホンタイジに跪いて臣下の礼を取らされた恥辱を雪ぐべく、即位後は清を討伐(北伐計劃)するために軍備拡充に努めた。その軍事力(特に銃砲等の火力)を清に買われ、黒竜江を超えて南下していたロシア勢力の討伐を行う清軍に1654年と1658年の2回軍勢を参加(羅禅征伐)させられている。
清から贈られた諡号は、「忠宣王」である[2]。諡号に「忠誠の忠」の文字を使用しており、朝鮮国王は従順であって欲しいという清の希望を読み取れるが、この諡号は、治世中の公式記録から徹底して取り除かれており、『朝鮮王朝実録』、朝鮮国王の行状、『陵誌文』といったほとんど全ての公式記録から取り除かれ、外交文書以外にはほとんど使用されなかった。『朝鮮王朝実録』は、清から諡号を授かった事実を記録するのみで贈られた諡号を記録していない。その理由は、「夷狄」とみなした清からの諡号を恥辱に感じていたからであり、表向きは清に対して朝貢・冊封の事大をおこない、恭順の姿勢を装うが、清に対する反発が拭い難く根付いていた[2]。
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