(はと)は、日本海軍水雷艇鴻型の8番艇。艦艇名として漢字は異なるが同音同義の隼型水雷艇鴿」を初代として2代目とされる場合がある[1]

さらに見る 艦歴, 要目(竣工時) ...
艦歴
計画昭和9年度計画(②計画[1]
起工1936年5月28日[1]
進水1937年1月25日[1]
就役1937年8月7日竣工[1]
その後1944年10月16日空爆により大破しその後に沈没[1]
除籍1944年12月10日[1]
要目(竣工時)
排水量基準:840英トン
公試:960トン
全長88.50m
全幅8.18m
吃水2.76m
機関ロ号艦本式缶2基
艦本式タービン2基
2軸、19,000馬力
速力30.5ノット
航続距離14ノットで4,000海里
燃料重油:245トン
乗員129名
兵装45口径十一年式12cm単装砲3門
53cm3連装魚雷発射管1基3門
(六年式魚雷3本)
40mm機銃1挺(雉、鷺、鳩は毘式)
(雁は25mm機銃1挺)
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艇歴

1935年(昭和10年)11月22日、と命名され[2]、水雷艇に類別[3]1936年(昭和11年)5月28日に東京石川島造船所で起工。1937年(昭和12年)1月25日進水。同年8月7日に竣工し、呉鎮守府籍、第11水雷隊に編入された[4]

日中戦争では、華北沿岸作戦、揚子江遡行作戦に従事[1]太平洋戦争開戦後、海上護衛作戦に参加[1]

1943年1月、「鳩」は佐伯からパラオへ向かった陸軍輸送船8隻の護衛に従事した[5]

6月8日、第三十一号哨戒艇とともに呉からパラオへ向かうP607船団を護衛中、同船団の「河北丸」がアメリカ潜水艦に撃沈された[6]。7月21日、豊後水道からパラオへ向かうオ505船団を護衛中、同船団の「サイパン丸」がアメリカ潜水艦に撃沈された[7]

1944年(昭和19年)10月16日、船団護衛中に香港南東で米空母艦載機の爆撃を受けて大破し、被曳航中に沈没[1]。同年12月10日に除籍。

歴代艇長

艤装員長
  • 太田良直治 少佐:1937年4月10日[8] -
水雷艇長
  • 太田良直治 少佐:1937年8月7日[9] - 1938年12月15日[10]
  • 菅原六郎 少佐:1938年12月15日[10] - 1940年1月25日[11]
  • 加茂喜代之 少佐:1940年1月25日[11] - 1940年10月15日[12]
  • 道木正三 大尉:1940年10月15日[13] - 1941年9月10日[14]
  • 岡村幸雄 大尉:1941年9月10日[14] -

脚注

参考文献

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