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戦国時代の茶人 ウィキペディアから
鳥居 引拙(とりい いんせつ、生没年不詳)は、戦国時代の茶人。村田珠光の弟子[1]。屋号は天王寺屋[2]。俗説として珠光の次男という説もあるが、信憑性に乏しい[1]。
堺の豪商で、山上宗二から「珠光に次ぐ名人」とまで呼ばれたほどの茶人[3][2]。『山上宗二記』においては村田珠光、武野紹鴎と並び「古今の名人」と紹介されている[1]。ただし、史料に乏しくその経歴は不明な点が多い[4]。
主な所持茶器として、「楢柴肩衝」[5]、「蕪なしの花入れ」[4]などがある。また、彼の名を冠した「引拙茶碗」と呼ばれる茶器もある[5]。引拙所有の茶器は「引拙名物」と呼ばれ、三十種類あったとされる[2](その多くは後に豊臣秀吉の所有物となった[4])。前述の引拙名物の他には、千種の茶釜、侘助肩衝、緑桶水指、大霞猿釜、松本茄子、胡桃口柄杓立などが存在する[6]。
引拙は、茶道具の中でも特に水指棚を好んだ。引拙が使用した水指棚は「引拙棚」と呼ばれ[2]、のちに武野紹鴎がこれを改良して袋棚を作ったと伝わる[5]。
没年については、『山上宗二記』には70歳で死去したと書かれている[5]。
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