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鎌倉時代の公家。従二位・修理大夫・非参議。子に高階泰定(長男、正四位下) ウィキペディアから
高階 経時(たかしな の つねとき、治承4年(1180年)[1]または寿永元年(1182年)[2] - 没年不詳)は、鎌倉時代の公家。名はのち経雅(つねまさ)。正三位・高階経仲の子。官位は従二位・修理大夫。
後白河院政期末の文治6年(1190年)従五位下・和泉守に叙任される。建久5年(1194年)但馬守に遷り、正治2年(1200年)従五位上に叙せられ、正治3年(1201年)右衛門佐として京官に復した。元久元年(1204年)右衛門佐を辞す代わりに正五位下に昇叙されるが、翌元久2年(1205年)今度は左衛門佐に任ぜられている。
承元5年(1211年)従四位下に叙せられると、建暦2年(1212年)院分によって美濃守に任ぜられ、建保2年(1214年)内蔵頭を兼ね、建保3年(1215年)正四位下に昇叙される。建保7年(1219年)従三位に叙せられて公卿に列した。
承久3年(1221年)に発生した承久の乱での動静は明らかでない。公卿昇進後はしばらく散位であったが、寛喜3年(1231年)正三位に叙せられ、文暦2年(1235年)修理大夫に任ぜられ、これを建長5年(1253年)まで務めた。この間の嘉禎4年(1238年)従二位に至り、仁治3年(1242年)北条経時が鎌倉幕府の第四代執権に就任すると、同名を避けて経時から経雅に改名している。
『公卿補任』による。
注記のないものは『尊卑分脈』による。
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