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1892年生まれの日本の農学者 ウィキペディアから
高橋 克己(たかはし かつみ、1892年3月9日[1] - 1925年2月8日[1])は、和歌山県和歌山市出身の農学博士。
明治25年(1892年)3月9日、和歌山県海草郡木本村(現:和歌山市木ノ本)に生まれた[2]。
木本尋常小学校、旧制和歌山中学校(現:県立桐蔭高等学校)、第三高等学校を経て、1914年東京帝国大学農学部農芸化学科に入学[2]。卒業後は東京帝国大学院に入学し、鈴木梅太郎の指導のもとで油脂成分の研究に従事した[2]。1920年(大正9年)理化学研究所研究生として研究を続けた[1]。
1920年(大正9年)11月23日、奈良県の藤岡長二郎六女・英子と結婚し、1922年(大正11年)5月に長女・ユリが生まれ、1924年(大正13年)4月には次女・多恵が生まれている[要出典]。
1922年(大正11年)、それまで存在は認められていたものの、抽出が困難とされていたビタミンAをタラの肝油から分離・抽出することに成功したと日本化学会で発表する[2]。ここで抽出されたビタミンAは「理研ビタミン」の名称で商品化され、多くの病人を救った[1][2][3]。1924年(大正13年)鈴木梅太郎とともに帝国学士院賞を受賞[1][2]。その賞金を母校の和歌山中学校に全額寄付した[2]。
1925年(大正14年)農学博士の学位を受けるが[2][3]、その8日後の2月8日に死去[3]。享年32歳。
1950年(昭和25年)、和歌山文化協会から文化功労者として、顕彰された[要出典]。2020年、和歌山市木ノ本に胸像と説明板が設置された[4]。
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