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下総国の戦国武将。 ウィキペディアから
高城 胤忠(たかぎ たねただ、? - 天文15年(1546年)4月25日)は、戦国時代の武将。高城胤吉の父といわれていて、下野守、治部少輔[注 1]。高城越前守の次男か[1]。
胤忠に関する史料がほとんど残されていないため、その経歴・活動に関しては不明な点が多い。
『快元僧都記』によると、永正14年(1517年)、後の小弓公方・足利義明が小弓城の小弓原氏を攻めて陥落させると、その家臣であった高城氏の「越前守父子」が死亡、「同下野守」が逐電したという[2][3][4]。この下野守は胤忠のこととされており、この後西下総に移って小金城に入城し、高城氏の嫡流として勢力をふるったという[2]。小弓公方と古河公方の抗争では、古河方につき、戦いの最前線を守った。国府台の戦いで足利義明が倒れると、それまで主人であった原氏から自立し、「小金領」と呼ばれる領地を支配した。1546年(天文15年)4月25日、小金城で没する[2]。
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