飯塚俊男
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経歴
1947年9月19日[1]、群馬県前橋市に生まれる[2]。前橋高校から東北大学法学部に進み、在学中の1969年より、小川紳介主宰の小川プロダクションに所属し、『三里塚』シリーズの製作に携わる[2]。1991年、『映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭'89』で映画監督デビューを果たす[3]。その後、小川プロダクションから独立し、1993年に『小さな羽音 チョウセンアカシジミ蝶の舞う里』を監督する[3]。同作は文化庁優秀映画作品賞を受賞した[4]。1994年、製作会社のアムールを設立する[2]。
フィルモグラフィー
映画
- 峠(1978年) - 助監督
- 1000年刻みの日時計 牧野村物語(1987年) - 助監督
- 日本解放戦線 三里塚(1970年) - 製作
- 三里塚 第三次強制測量阻止斗争(1970年) - 製作
- 三里塚 第二砦の人々(1971年) - 製作
- 三里塚 若山に鉄塔が出来た(1972年) - 製作
- 三里塚 辺田部落(1973年) - 製作
- どっこい! 人間節 寿・自由労働者の街(1975年) - 製作
- 三里塚 五月の空 里のかよい路(1977年) - 製作
- 牧野物語 養蚕篇 映画のための映画(1977年) - 製作
- 映画の都 山形国際ドキュメンタリー映画祭'89(1991年) - 監督・編集
- 小さな羽音 チョウセンアカシジミ蝶の舞う里(1993年) - 監督
- 土と木の王国 青森県三内丸山遺跡'94(1995年) - 監督
- 一万年王国 青森県縄文文化(1996年) - 監督
- 縄文うるしの世界 青森三内丸山遺跡'98(1999年) - 監督・構成
- 映画作りとむらへの道(1999年) - 製作
- 満山紅柿 上山 柿と人とのゆきかい(2001年) - 助監督
- 菅江真澄の旅(2002年) - 監督
- 稲と環境(2004年) - 監督
- 映画の都 ふたたび(2008年) - 監督・編集・製作
- 街のひかり 深谷シネマ物語(2010年) - 監督
- プッチーニに挑む 岡村喬生のオペラ人生(2012年)[5] - 監督
- 宮戸 復興の記録 2011-2013(2014年) - 監督
- 陸軍前橋飛行場 私たちの村も戦場だった(2018年) - 監督
脚注
外部リンク
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