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青木 泰二郎(あおき たいじろう、生年不詳 - 1962年〈昭和37年〉)は、日本の海軍軍人。海軍大佐。ミッドウェー海戦で撃沈された航空母艦「赤城」艦長として知られる。
海軍兵学校(41期)を1913年(大正2年)12月に卒業。同期生に草鹿龍之介、木村昌福、田中頼三らがいる。1937年(昭和12年)12月、大佐へ昇進。水上機母艦・「瑞穂」艦長、横須賀海軍航空隊予科練部長を経て、土浦海軍航空隊司令として太平洋戦争を迎える。
1942年(昭和17年)4月25日に「赤城」艦長に就任。しかし、就任2ヶ月に満たない同年6月5日、ミッドウェー海戦において「赤城」は被弾・炎上。青木は沈没まで指揮をとり、乗組員の退艦を図った。青木は「赤城」と最期を共にするつもりであったが、乗組員たちに「赤城」から無理矢理引きずり降ろされ生還する。帰国後7月14日付けで予備役に編入されたが、召集を受け海南警備府附となる。その後は海口海軍航空隊、佐世保海軍航空隊、元山海軍航空隊の各司令を勤めた。元山空で終戦を迎えた時、青木は内地に飛行機で戻り、残された隊員たちはソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留された。このことから青木の行動を「敵前逃亡」と非難する元部下もいる[1]。その後、公職追放となった[2]。戦後は埼玉の幼稚園長として勤務した。
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