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日本のテレビバラエティ番組シリーズ ウィキペディアから
日本テレビ系列にて、1992年7月より放送が始まった『進め!電波少年』に端を発したもので、いわゆるつなぎ番組として立ち上げられながらも、「アポなしロケ」や「ヒッチハイクの旅」、それに「懸賞生活」など、無名の若手お笑いタレントによる数々の奇抜な体当たり企画で人気を博し、全盛期には視聴率30.4パーセントを記録。日本テレビの1990年代黄金期を支えた番組の一つとしても数えられている。
他方で、一連の体当たり企画の奇抜さは、総合演出を務めた土屋敏男でさえも「あんなに放送する局に負荷のかかる番組はない」と回顧[1]するほどに、出演者やスタッフに過酷な制作を強いた。10年あまりに及んだ、日本テレビ系列でのレギュラー放送が『雲と波と少年と』(2003年)を最後に終了し、それから20年近くを経て土屋がWOWOW版のオファーを受けた際にも、この過酷ぶりを思い出し一度は「できる訳がないなあ」と苦虫を潰した[1]が、同期の田中晃から再びオファーされたことで、WOWOW版が『電波少年W』として実現した。同番組も本シリーズの流れは汲んでいるものの、前述した体当たり企画などが主体であった従前までのシリーズ各番組とは、趣を異とした番組内容とされた(詳細は後述)。
放送時間は、『進め!電波少年』と『進ぬ!電波少年』は日曜22時台後半、『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』と『雲と波と少年と』は土曜22時台と、一貫して週末の22時台(プライムタイム)にて放送されていたが、プライムタイムの番組では通常見られないような深夜番組の様な奇抜な内容の企画が多かったためか、本シリーズが「深夜番組」であったと勘違いして記憶している視聴者も多い[注 1]。
番組内でのナレーションは、一部を除き木村匡也が担当。オープニングテーマ曲はこちらも一部を除き、BEYONDの「The Wall 〜長城〜」が使用されている。
『進め!』後半からのいわゆる「電波少年的○○」企画は、無名の若手お笑い芸人(コンビ)が『仮面ライダー』のショッカー戦闘員風の衣装を着たスタッフに取り囲まれ、そのまま拉致されるシーンから始まるのがパターンとなっていた。同様に、『進ぬ!』以降および『雷波少年』では前出の土屋が「Tプロデューサー(後にT部長)」として、企画開始に先立って芸人たちに使命を伝えるというパターンも、番組内では度々見られた。
特記のないものはいずれも日本テレビ系列にて放送。
発売元:バップ
発売元・販売元:バップ
発売元:ハドソン
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