陽侯女王
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陽侯女王(やこじょおう/やこのおおきみ、生年不明 - 天平宝字8年(764年)?)は、奈良時代の日本の皇族。名は陽故とも表記される。のち臣籍降下し、氷上 陽侯(ひがみ の やこ)と称した。天武天皇の孫で、一品・新田部親王の子。塩焼王の姉。藤原仲麻呂の室。官位は従三位・命婦。
聖武朝の天平11年(739年)正月、小長谷女王・坂合部女王らとともに無位から従四位下に叙爵される。
淳仁朝の天平宝字5年(761年)10月には、保良宮への遷都の際の移転費用として、飛鳥田内親王・粟田女王・県犬養広刀自とともに稲4万束を賜わっている[1]。
その後、臣籍降下したらしく、以後の記録では氷上真人を名乗り、天平宝字6年(762年)から同8年(764年)にかけて昇叙され、従三位にまで上っている。天平宝字7年(763年)正月には、王新福ら渤海使の、天皇への拝賀の儀式に参列したことが記録されている[2]。
以上のように、淳仁天皇の後宮に出仕する高級職事であったことが推察されるが、以降の記録は存在しない。藤原仲麻呂の乱に巻き込まれ、処刑された可能性が大きい。
『続日本紀』による
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