Loading AI tools
ウィキペディアから
閔公(びんこう)は、春秋時代の魯の第18代君主。『春秋左氏伝』では「閔公」であるが、『史記』では「湣公」と表記される。名は啓。
閔公は荘公の子だが、次期魯公は季友が推す庶子の公子斑が有力視されていたため、公位の対象外にあった。しかし、荘公32年(紀元前662年)に荘公が没した直後に魯公となった斑を慶父が暗殺し、慶父の推挙を受けて翌閔公元年(紀元前661年)には魯公の座に就く。
その後、斉に亡命していた季友を呼び戻すために、斉の桓公に季友の帰国を働きかけ、首尾よく実現させる。その際に閔公自らが帰国途中の季友を迎えに行ったことから、閔公は季友を慶父以上に信頼していたことがうかがえる。
だが、閔公2年(紀元前660年)に魯公の座を狙っていた慶父によって、暗殺されてしまう。在位はわずか2年で、正に慶父に振り回された人生であった。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.