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日本の安土桃山時代~江戸時代初期の武将。加賀藩年寄長連龍長男で、長家22代当主(加賀八家長氏2代当主)。能登福水城主 ウィキペディアから
長 好連(ちょう よしつら)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。長連龍の嫡男。長家第22代当主。弟に長連頼。妻は高源院福(前田利家の娘)[3][4]。能登福水城主。なお、「好連」という名は父の連龍も初名で名乗っていた[2][5]。
天正10年(1582年)、長連龍の嫡男として誕生する。幼名は熊松[2]。
慶長3年(1598年)に、前田利家から娘の福(後の高源院)を嫁がせる旨を受け、 入輿、婚礼を整える[6]。 慶長5年8月3日(1600年6月25日)、前田利長の大聖寺攻城に19歳で初陣を飾り、父連龍とともに出馬する。慶長11年(1606年)、連龍が老年を理由に隠居したため、好連が24歳で家督を相続する[1][2][5]。 慶長12年(1607年)の駿府城普請の際、利長の名代として駿府へ赴き、御用を勤めた。 慶長15年(1610年)に尾張名古屋城普請の御用を任されるが、自身は病気のため辞退した。
慶長16年9月16日(1611年10月11日)、父に先立って死去し、田鶴浜の東嶺寺に埋葬された[1][2]。享年30。法号は南涌院。子はなく、弟に連頼(当時6歳)がいたが、家督は父の連龍が復帰して継いだ[2][5]。また、未亡人となった福(高源院)は後に中川光忠と再婚した[4]。
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