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鎮西鎮台(ちんぜいちんだい)は、1871年から1873年まであった日本陸軍の部隊で、当時全国に4つあった鎮台の一つである。前身は1871年設置の西海道鎮台で、1873年に熊本鎮台に改称した。
発足当初の明治政府は直属の軍隊を持たず、藩に命令して兵力を出させることで軍事や警備を行っていた。この状況から脱するため、1871年に御親兵を設けて天皇直属の軍隊とし、東北と九州の2か所に鎮台を置いた。九州には西海道鎮台をおき、とりあえず近辺の藩兵を鎮台に出させたが、同年8月に、東京、大阪にも鎮台をおいて、鎮台を全国の兵制の基幹とする方針が定まった。このとき西海道鎮台を改称してできたのが、鎮西鎮台である。
鎮台の本部は小倉だが、当分は熊本と定められた。管地は琉球を除く九州のほか、備中(現在の岡山県西部)・出雲(現在の島根県東部)以西の中国地方も含んでいた。[1]
翌1872年(明治5年)3月12日、東京大坂鎮西東北鎮台条例により、鎮台の任務と権限が詳しく定められた[2]。
1873年7月19日、明治6年太政官布告第255号によって鎮台条例が改正され、鎮西鎮台は熊本鎮台と改称した[3]。小倉への鎮台移転は結局行われないままとなった。
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