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563年(保定3年)、北周により乞銀城に銀州が設置された[1]。
583年(開皇3年)、隋が郡制を廃すると、銀州の属郡の真郷郡と開光郡は廃止された。606年(大業2年)、銀州は廃止され、その管轄県は綏州に移管された。綏州は上州と改められた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、上州は雕陰郡と改称された[2]。
628年(貞観2年)、唐が梁師都を滅ぼすと、隋の雕陰郡儒林県の地に銀州が置かれた。742年(天宝元年)、銀州は銀川郡と改称された。758年(乾元元年)、銀川郡は銀州の称にもどされた。銀州は関内道に属し、儒林・撫寧・真郷・開光の4県を管轄した[3]。786年(貞元2年)、吐蕃の侵攻を受けて、銀州は陥落した[4]。
北宋のとき、銀州は西夏の統治下におかれた。1070年(熙寧3年)に北宋が銀州を奪回したが、まもなく失陥した。1081年(元豊4年)、北宋が銀州を奪回した。翌年に永楽小川に新城を築いて銀川砦といったが、ほどなく西夏に奪われた。1105年(崇寧4年)、北宋が銀州を奪回した。1106年(崇寧5年)、銀州は廃止され、銀川城とされた[5]。
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