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明治から昭和にかけての漆芸家 ウィキペディアから
鈴木 表朔(すずき ひょうさく、明治7年(1874年) - 昭和18年(1943年))は、明治から昭和にかけての漆芸家。京塗表派の承継者。
鈴木表朔は、明治7年(1874年)に現在の滋賀県高島市安曇川町に生まれた[1]。幼名井上捨吉と称し、明治17年(1884年)頃京都に出て、蒔絵師鈴木長真の養子となり鈴木表朔を名乗るが、後に髹漆(きゅうしつ)に転じ二代木村表斎に師事した[1][2]。
表朔の塗り技術への評価は高かく、明治42年(1909年)伊勢神宮の神宝、また大正2年(1911年)御大礼に際して高御座、御帳台、万歳幡の塗を担当した。大正5年(1916年)には内務省御用となった[1][2]。
京都で活発に活動し、大正8年(1919年)には、神坂雪佳主宰の佳都美村に参画し、意欲的に漆器の創作にも携わった。京都漆芸会創立顧問の一人、漆器同業組合代議員や京都美術工芸会会員活動を通じて、漆芸を広め技術を伝えることに努め、昭和18年(1943年)に逝去[1][2]。
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