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日本の実業家、政治家 ウィキペディアから
鈴木 摠兵衛(すずき そうべえ、1856年3月27日(安政3年2月21日)[1] - 1925年(大正14年)12月28日[注釈 1])は、明治時代から大正時代の実業家・政治家。鹿山と号した[2]。
名古屋城下針屋町において酒造業を営む日比野家の長男、茂三郎として生まれたが、先代の鈴木惣兵衛に取り立てられ、1874年(明治7年)2月に養女のぶ(名エン、青木新四郎の次女)の婿養子に迎えられた。翌1875年(明治8年)に8代目として家督を継ぐこととなった[3]。当時の鈴木家は経営再建を求められており、家財の売却を積極的に行った[3]。また、家業である木材についての知識を深めるため、伊藤次郎左衛門に頼み、木曽山中や飛騨山中に数年間赴いた[4]。
家業が軌道に乗ると、明治銀行・愛知時計電機・名古屋倉庫・名古屋瓦斯・福壽火災保険などの創立に関わり、取締役などにも次々に就任した[5]。
また、名古屋実業界においても、名古屋商業会議所の議員を務め、1914年(大正3年)12月12日には前任の奥田正香の辞任を受けて会頭に就任している[5]。
同時に政治家としての顔も持ち、1898年(明治31年)以降、1912年(明治45年)に至るまで衆議院議員を務め、その後1916年(大正5年)10月には補欠選挙で貴族院議員にも互選され[6]、同年10月19日から[7]1925年(大正14年)9月28日まで在任した[8]。また、1915年(大正4年)から1921年(大正10年)には名古屋市会議員、愛知県会議員も5回にわたって務めた[6]。
1925年12月28日病没[6]。
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