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887年(光啓3年)、唐により潤州上元県に昇州が置かれた。昇州は江南東道に属し、上元・句容・溧水・溧陽の4県を管轄した[1]。
920年(武義2年)、五代十国時代の呉により昇州は金陵府に昇格した。937年(昇元元年)、南唐により金陵府は江寧府と改称された。
975年(開宝8年)、北宋により江寧府は昇州と改められた。1018年(天禧2年)、昇州は江寧府に昇格した。1129年(建炎3年)、南宋により江寧府は建康府と改称された。建康府は江南東路に属し、上元・江寧・句容・溧水・溧陽の5県を管轄した[2]。
1277年(至元14年)、元により建康府は建康路と改められた。1329年(天暦2年)、建康路は集慶路と改称された。集慶路は江浙等処行中書省に属し、録事司と上元・江寧・句容の3県と溧水州・溧陽州、合わせて1司3県2州を管轄した[3]。1356年、朱元璋により集慶路は応天府と改められた。
1368年(洪武元年)、明により応天府は南京とされた。応天府は南直隷に属し、上元・江寧・句容・溧水・溧陽・高淳・江浦・六合の8県を管轄した[4]。
1645年(順治2年)、清により応天府は江寧府と改称された。江寧府は江蘇省に属し、上元・江寧・句容・溧水・高淳・江浦・六合の7県を管轄した[5]。
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