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韓国の作家 ウィキペディアから
金 薫(キム・フン、1948年5月5日 - )は、韓国の小説家、ジャーナリスト、エッセイスト、自称・自転車レーサー[3]。金の代表作である『칼의 노래 (刀の詩/孤将)』は韓国で50万部[3]を超えるベストセラーとなり、日本語、フランス語、スペイン語、中国語などに翻訳もされている。
1948年5月5日、ソウル市鍾路区清雲洞に生まれた。父は金光洲、母は鄭戊順。4人兄弟の3番目の子であった。父、金光洲は小説家で、朝鮮独立運動活動家の金九や尹奉吉とも親交があった。光復後は『京郷新聞』の文化部長、編集部局長を務めたが、父が病床の中、金は父の代筆をするなど、父の元で自然と小説の修養を成していったという。
1966年、高麗大学校政治外交学科に入学。大学2年のとき、バイロンやメアリー・シェリーなどロマン主義に傾倒して英文学に心惹かれるようになって、大学も中退して、英文科に転学した。1973年、義務兵役を終えて復学した金は、父の死亡により経済的な困難に陥った。また当時の大学が学生運動で混乱していたこともあり、金は大学の卒業を諦めて、韓国日報社に入社した。
新聞記者時代の金は「文学紀行」と題した評論を『韓国日報』に連載するなど、文学活動もしていたが、1989年、突然韓国日報社を退社。約2年ほど、特に継続した仕事もなく過ごし、その間に『선택과 옹호 (選択と擁護)』『풍경과 상처 (風景と傷)』の2冊のエッセイを発表した。
1994年、『빗살무늬토기의 추억 1 (櫛目紋土器の追憶1)』(『文学トンネ』1994年冬創刊号)、1995年、『빗살무늬토기의 추억 2 (櫛目紋土器の追憶2)』(『文学トンネ』1995年春号)を発表し、47歳で文壇にデビューした。
作家となってからも『時事ジャーナル』の編集局長を務めるなど、ジャーナリストとしての活動も続けていたが、2000年9月27日付の『ハンギョレ21』に掲載されたインタビューが物議を醸したことから、『時事ジャーナル』を辞めて、執筆活動に専念。代表作となる『칼의 노래 (孤将)』を、2001年に発表した。当作品は韓国でベストセラーとなり、同年の東仁文学賞を受賞した。その後は再びマスコミ業界で活動しつつ、小説やエッセイの執筆しているほか、趣味の自転車やツーリングに関する書籍も書いている。
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