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日本の海上自衛官 ウィキペディアから
金田 秀昭(かねだ ひであき、1945年(昭和20年)6月20日[1] - )は、日本の海上自衛官。最終階級は海将。現在、岡崎研究所理事特別研究員、三菱総合研究所主席専門研究員[2]。祖父は金田秀太郎海軍中将。
1945年(昭和20年)、神奈川県に生まれる[2]。1968年(昭和43年)3月、防衛大学校(第12期)を卒業し[2]、海上自衛隊に入隊。アメリカ海軍大学校指揮課程修了。海上幕僚監部防衛課長、舞鶴地方総監部幕僚長、 第4護衛隊群司令、統合幕僚監部第5幕僚室長等を歴任し[2]、1998年(平成10年)7月1日、第26代護衛艦隊司令官に就任。護衛艦隊司令官在任中の1999年(平成11年)2月に護衛艦「はるな」による高性能20ミリ機関砲(CIWS)の不時発射事案(後述)が発生した[3]。金田はこの事案により懲戒処分を受け、辞表を提出し、同年7月12日付で退官した[4]。
1999年(平成11年)2月18日午前、舞鶴港停泊中の護衛艦「はるな」において、CIWS発砲回路試験中に、22番砲に混入されていた実弾2発が不時発射された[3]。事故については「はるな」艦長から第3護衛隊群司令を経て、金田護衛艦隊司令官に報告されたが、金田は報告を受けた後、民間等への被害がないこと、再発防止対策は自己の職責の範囲内でできる等と考えたことから、上級司令部等に報告しないこととした[3]。後日、関係者からの問い合わせがあり、同年6月17日、自衛艦隊司令官が第3護衛隊群司令に確認した結果、同事故が判明した[3]。同年7月1日、この事案により関係者18人に懲戒処分等が下され、金田は事故報告未実施が職務上の注意義務違反に問われ、停職10日の懲戒処分を受けた[3][4]。なお、将官が停職処分を受けたのは初めてである[4]。
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