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野上 ふさ子(のがみ ふさこ、1949年4月3日[1] - 2012年10月10日)とは、日本のNPO法人「地球生物会議 ALIVE」創設者。動物愛護・動物保護活動家。日本の新左翼活動家・著作家。アイヌ民族の権利のための活動と[2]「ポン・フチ」のペンネームで著作を書き、北海道で開発反対運動をする[3][4]。後に動物実験反対、原発反対を主張し、更に動物愛護・動物保護・環境保護を訴えた。
1949年新潟県生まれ。学園紛争で[3]立命館大学文学部哲学科を中退[5]し、北海道に渡り、アイヌの権利のための[2]新左翼活動を行う。野上は“和人”(大和民族)であるが、アイヌ名「ポン・フチ(ポンフチ)」と名乗って1976年にアイヌ民族に関する著作を出し始めた[6](当時の模様はアイヌ革命論を参照)。野上はその後、アイヌ民族活動の仲間と共に、日高横断道路や沙流川ダムの建設に反対した[3]。約10年間、アイヌモシリ(アイヌの大地)に滞在した[3]。
1984年、東京でエコロジー社を設立し、エコロジー総合誌「生命宇宙」を創刊[5]。エコロジカルな暮らしと世界観をアピールしたが4号で廃刊した。この頃から、動物実験反対を主張する[3]。
1986年7月、第14回参院選北海道選挙区で「日本みどりの連合」から出馬し落選[7](詳しい選挙結果は55年体制期(第4回から第16回まで))。
1989年7月、第15回参院選全国区比例区に「みどりといのちのネットワーク」から出馬し落選[8]。
1991年 - 1992年、リサイクル運動市民の会情報誌「くらしの木」に動物実験について連載[9]。これは、1993年に「動物実験を考える」として出版し反響を得る[3]。また、1992年、公明機関紙に「見えない苦しみ聞こえない叫び--動物実験を考える」とタイトルした、動物実験について告発を連載[10]。
1996年、後述の内部紛争により動物実験廃止・全国ネットワーク(AVA-net)を設立し、更にNPO法人「地球生物会議ALIVE」を設立。1997年には、AVA-net の代表も兼任した[11]。動物実験反対のみならず、ALIVEの活動の一環で動物園を調査する“ズーチェック運動”をマスメディアを通じ日本に伝えるなど動物権利運動を行い、のちに環境省の「動物愛護管理のあり方検討小委員会」の委員を務めた[12]。
2012年まで日本ペンクラブの環境委員会幹事であり、シンポジウムなどを行った[13][14][15][16]。
2012年12月、自伝『いのちに共感する生き方 人も自然も動物も』(彩流社)が死後出版される。あとがきは死の2日前の日付となっている。
動物愛護・動物実験反対団体『動物実験の廃止を求める会(JAVA)』での活動において、1995年、事務局長の野上は役職を辞任させられた。[21][22][23] 野上の自伝での言い分によれば、「医科学研究における動物実験問題は分からない、やりたくない、こわい」という立場のグループが会を分裂させたのだという。[24]そして、「こともあろうに分裂グループは夜中に合い鍵を使って事務所に入り、会員名簿と会の資金をすべて持ち去った」、「多数決で私の代表権を奪うために、私のいない議事録会議を作成し、多数決で会を乗っ取った」、と野上は言う。[25] こうして、対立グループの言い分によれば、「私を追放するための陰謀だ。乗っ取りだ。新しい事務局長など認めない。」[26]と、解任を不服とした野上が地方会員を動員して別の『動物実験の廃止を求める会』を設立し、その他JAVAの活動を妨害したことにより[27]、JAVAから提訴され[28]、1997年に最高裁で野上の敗訴が確定した[27]。野上は一審敗訴の直後1996年に会の名称を替えて『動物実験廃止・全国ネットワーク(AVA-net)』とし、また動物愛護・動物保護団体地球生物会議ALIVEも設立した[27]。
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