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松尾芭蕉の紀行文 ウィキペディアから
1684年(貞享元年)8月、門人苗村千里を伴って深川の芭蕉庵を出立、東海道を上って伊勢・伊賀・大和を経て、以後は単独で吉野、9月下旬に美濃大垣、桑名・熱田・名古屋から伊賀上野に帰郷して越年、春の大和路をたどって京都へ出て、近江路から江戸への帰路のおよそ8ヶ月の紀行を題材とする[1]。初稿本巻末に各地での付合を抄録した「酬和の句」を付載するなど、句集的性格を顕著に出している[1]。再稿、三稿を経た後に芭蕉自筆に21画面の絵を入れた画巻本が作成され、門人中川濁子筆の清書画巻も伝わる[1]。刊行されたのは1698年(元禄11年)『泊船集』所載のものが初めてである[2]。
「猿を聞人捨子に秋の風いかに」のような破調句も見られるが、「山路来て何やらゆかしすみれ草」のような平明な句も得るなど、『虚栗』調を脱しようとする意図が感じられる[2]。
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