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鄭槰
ウィキペディアから
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鄭主
鄭
氏当主の
鄭槰
(英語版)が勢力を回復したが、これは短命に終わった。再度北上した阮恵の軍が、かつて黎利が明を相手に行ったように、清軍を粉砕したからである(ドンダーの戦い)。清軍は撤退し、後黎朝帝室と
鄭
氏一族は清に亡命した。 阮福映が西山朝を滅ぼして阮朝を建てると、
鄭槰
の子であった
鄭
楈(中国語版)が
鄭
氏の祭祀を継承した。
ベトナム帝王一覧
純宗 黎維祥 懿宗 黎維祳 顕宗 黎維祧 愍帝 黎維祁 諒国公
鄭
検 俊徳侯
鄭
檜 平安王
鄭
松 清都王
鄭
梉 西定王
鄭
柞 定南王
鄭
根 安都王
鄭
棡 威南王
鄭
杠 明都王
鄭
楹 靖都王
鄭
森 奠都王
鄭
檊 端南王
鄭
楷 晏都王
鄭槰
僊主 阮潢 仏主 阮福源 上主 阮福瀾 賢主 阮福瀕 義主 阮福溙
黎愍帝
同時期に彰徳県に隠棲していた琨郡公
鄭槰
(中国語版)(威南王
鄭
杠(中国語版)の次男)が礼を尽くして恭順の意を示すと愍帝は大いに喜び、昇龍に入城した
鄭槰
は
鄭
棣の勢力を駆逐した。愍帝は
鄭槰
を平章軍国重事に任じたが、
鄭
主が壟断した先例に鑑みて全権は与えなかった。しかし璉忠侯丁錫壌
鄭楷
き渡された。敵の虜囚となったことを恥辱と感じた鄭楷は、昇龍へ連行される途中で自刃した。 死後、従叔の晏都王
鄭槰
(中国語版)(
鄭
杠(中国語版)の次男)によって霊王と諡された。 ^ 小林知 著「
鄭
楷」、池内宏; 矢野仁一; 橋本増吉 編『東洋歴史大辞典』 中(縮刷復刻)、臨川書店、1986年10月1日