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鎌倉時代後半の公卿。従一位・准大臣。 ウィキペディアから
近衛 兼教(このえ かねのり、旧字体:近󠄁衞 兼󠄁敎)は、鎌倉時代後半の公卿。関白左大臣・近衛基平の子。官位は従一位・准大臣。猪熊一位入道と号する。母は岡屋関白太政大臣・近衛兼経の女、すなわち基平の異母妹あるいは異母姉である[1]。
兼教が誕生した頃、摂関家は近衞家と九条家からそれぞれ鷹司家、二条家、一条家が分立し始めた時代である。この摂関家の分立は近衞家と九条家それぞれの当主が夭折し、相続に問題が生じていたことが一因であるとする説がある。近衛家では兼教が誕生した翌文永5年(1268年)11月19日に、兼教の父・基平が弱冠23歳で薨去している[2]。
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
『玉葉和歌集』に次の和歌が作者名「従一位兼教」として入首している。兼教の心境をうかがうことができ興味深い。 なお、「近衛関白」とは兄近衛家基、「歓喜苑前摂政」とは正安3年(1301年)に薨去した一門の鷹司兼忠を指す。
籠りゐて後五月五日菖蒲の根につけて大納言三位に遣はしける
近衛関白かくれて後籠りゐて年久しくなり侍りける頃、花の歌よみ侍りける中に
歓喜苑前摂政かくれ侍りける秋、近衛関白の事にうち続きまたかかる事の哀れさへなど申すとて
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