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辻田 摂(つじた おさむ、1977年6月20日 - )は、奈良県奈良市出身の元プロ野球選手(内野手)。
PL学園高等学校時代は福留孝介とともにクリーンアップの一角を担ったスラッガーであり、1995年には春、夏の甲子園出場も経験した。
高校卒業後は前田忠節と東洋大学に進学したが中退し、テレビ東京系「ASAYAN」の大リーガーオーディションで渡米、タンパベイ・デビルレイズのガルフ・コーストリーグのマイナーチームでプレー。
2000年のドラフト会議で中日ドラゴンズから8位指名を受け入団。しかし、一軍出場の無いまま2002年シーズン終了後に戦力外通告を受け退団する。
中日退団後は、社会人野球のクラブチームである大和高田クラブに所属し、全日本クラブ野球選手権大会の3年連続準優勝に貢献。2005年は敢闘賞を受賞[1]、同年は都市対抗野球にミキハウスの補強選手として出場[2]。その後ミキハウスREDSに移籍した。
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