趙弘
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正史の事跡
中平元年(184年)、南陽黄巾軍の張曼成配下として宛城に籠り、官軍の朱儁らと対峙した。張曼成が南陽太守の秦頡によって戦死すると、趙弘は張曼成の後を継いで指揮官となり、黄巾軍をまとめて宛城に立て籠もった。官軍の包囲を数ヶ月耐えるが、更迭の噂に焦った朱儁に急遽攻撃されたことで戦死する。
物語中の趙弘
小説『三国志演義』では同僚の韓忠、孫仲と共に宛城に立て篭もり、官軍の朱儁・劉備と戦っている。降伏を許されなかったため徹底抗戦するが、加勢に現れた孫堅に討たれる。
参考文献
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