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越州(えつしゅう)は、中国にかつて存在した州。南北朝時代から唐初にかけて、現在の広西チワン族自治区と広東省にまたがる地域に設置された。
471年(泰始7年)、南朝宋により越州が立てられた。越州は百梁郡・竜蘇郡・永寧郡・安昌郡・富昌郡・南流郡・臨漳郡・合浦郡・宋寿郡の9郡を管轄した[1]。
南朝斉のとき、越州は臨漳郡・合浦郡・永寧郡・百梁郡・安昌郡・南流郡・北流郡・竜蘇郡・富昌郡・高興郡・思築郡・塩田郡・定川郡・隆川郡・斉寧郡・越中郡・馬門郡・封山郡・呉春俚郡・斉隆郡の20郡を管轄した[2]。
589年(開皇9年)、隋が陳を滅ぼすと、越州の属郡は廃止された。605年(大業元年)、越州は禄州と改称された。607年(大業3年)、禄州と南合州が合併され、合州と称した。この年に州が廃止されて郡が置かれると、合州は合浦郡と改称され、下部に11県を管轄した[3]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
622年(武徳5年)、唐により隋の合浦郡は越州と改められた。越州は合浦・安昌・高城・大廉・大都の5県を管轄した。632年(貞観6年)、珠池県が置かれ、大都県が白州に転属した。634年(貞観8年)、越州は廉州と改称された[4]。
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