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縄文時代の建物遺構のうち、際立って大型のもの。 ウィキペディアから
超大型住居(ちょうおおがたじゅうきょ)または超大型建物(ちょうおおがたたてもの)は、東日本の縄文時代の集落遺跡などにみられる長さが20メートルを越すような大型建造物である。明確な基準はないが、10メートル前後のものは大型住居(大型建物)と呼称する。竪穴建物(大型竪穴建物[1])のものと平地建物(掘立柱建物)のものがある。
縄文時代早期に現れ、前期および中期前葉に特に発展し、後期にも散見される。東北地方を中心に33遺跡で90棟以上が知られている。東北から北陸まで分布している。長方形・隅丸長方形および長楕円形を呈することが多く、その形状からロングハウスと称することもある。
後述するように集落における共同の作業場や集会場のような機能が考えられており、「住居」という名称は不正確であるが、「竪穴住居」という語にひきずられる形で今日も広く使用されている。ただし「竪穴住居」と呼ばれてきた建築遺構についても、これまでの発掘調査結果の蓄積から工房など居住以外の用途に使われた事例が増加し、必ずしも「住居」ではないことが判明しており、文化庁は『発掘調査のてびき』(2013年発行)において「竪穴建物」と呼称していく方針を示している[1]。これに伴い「超大型住居・大型住居」についても、同書では「大型竪穴建物(竪穴構造の場合)」の表記を用いている[1][注釈 1]。
いずれも、縄文時代の建物のイメージを一新する驚くべき規模を有する建造物である。北日本の豪雪地帯に所在することから、冬期の作業小屋説もあるが、祖先を共通にする近隣の集落の成員が、定期的に集まったときの宿泊設備とする考えもある。一ノ坂遺跡の場合は、石器の未製品・半製品も出土したことから石器工房址説もある。
大型建物の用途については、渡辺誠、小林達雄、小川望をはじめとして多くの人がさまざまな見解を寄せている。主要なものを以下に紹介する。
紀元前5500年から紀元前4500年にかけて、ライン川流域を中心とする中欧から西欧にかけての一帯では帯文土器文化(Linear Pottery culture)と称される独特の土器文化が成立している[7][注釈 2]。この文化にかかわることとして、集落を構成する家屋が細長い長方形平面を呈するロングハウスをともなうことが特筆され、幅6〜7メートルに対して長さが20メートルほどの超大型建物であり、場合によっては40メートルを超す場合もあった[7]。そして、こうしたロングハウスは、いずれも長軸を北西—南東方向にもつという共通点を有する[7]。
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