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実業家(1907-1985) ウィキペディアから
赤尾 好夫(あかお よしお、1907年(明治40年)3月31日 – 1985年(昭和60年)9月11日)は、日本の出版人、放送人である。
山梨県東八代郡英村(現笛吹市石和町)出身。1931年、東京外国語学校(東京外国語大学の前身校)イタリア語科卒業。同年10月、歐文社(現在の旺文社)を設立[1]。この他に文化放送や日本教育テレビ(現在はテレビ朝日)の創業や、放送大学の設立にも貢献し、また実用英語技能検定や全日本学芸科学コンクールの創立(1957年)にも協力。教育と情報の融合に努め、日本メディア界の発展に貢献した。
趣味人としても知られ、書画骨董の収集品は財団法人センチュリー文化財団に収蔵されている。また、射撃においては全日本選手権で優勝し、1954年の世界選手権で銀メダルを獲得するほどの腕前でもあり、長きにわたり社団法人全日本狩猟倶楽部の会長も務めた。
戦時中に戦意高揚を煽った廉で、敗戦後は公職追放を受けた。かつて旺文社の労組で赤尾と対立した音楽評論家の志鳥栄八郎は「赤尾社長は、だいたいが右翼系で、そちらのパージになったこともある人だけに、赤いものは、赤旗はもちろんのこと、赤い腰巻きまで嫌がった」と語っている[2]。
赤尾一夫(旺文社第2代社長)、赤尾文夫(旺文社第3代社長、現会長)は子息である。
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