賀島政慶
日本の戦国時代~江戸時代前期の武将。蜂須賀家家老(徳島城代)賀島長昌長男で、阿波賀島氏2代当主。家老・牛岐城(後の富岡城)代・徳島城留守居役を勤めた ウィキペディアから
賀島 政慶(かしま まさよし)は、戦国時代の武将。徳島藩家老賀島家2代当主。
父は蜂須賀家家老・賀島長昌。母は蜂須賀正勝の娘・奈良姫。養父は赤松則房。正室は稲田植元の娘。継室は稲田植元の養女。子は賀島政重、稲田植次室、林正吉室。幼名は長市。通称は細山帯刀、左近、主水正。
生涯
元亀3年(1572年)、賀島長昌の子として尾張国に生まれる。天正13年(1585年)、14歳で阿波国に来て牛岐城(富岡城)と知行1万石を与えられ、蜂須賀家御門族に列す。蜂須賀家政に「政」の偏諱と細山の苗字を与えられ、細山帯刀政慶と名乗る。
天正15年(1587年)、九州征伐に出陣。天正16年(1588年)赤松則房の養子となる。天正18年(1590年)小田原征伐、文禄元年(1592年)、慶長2年(1597年)の文禄・慶長の役、慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いに出陣する。
慶長8年(1603年)、蜂須賀家に戻り家老となる。慶長19年(1614年)、大坂冬の陣で徳島城留守居を務める。慶長20年(1615年)、大坂夏の陣で蜂須賀勢の先鋒を務める。元和2年(1616年)、賀島に復姓。元和5年(1619年)、福島正則改易の際に、広島城受け取りの御先手を務める。元和6年(1620年)、藩主蜂須賀忠英の将軍徳川秀忠への御目見に同席する。
系譜
参考文献
- 東京大学史料編纂所「賀島系図」
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