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許 渾(きょ こん、生没年不詳)は、中国・唐の詩人。字は用晦。潤州丹陽県の出身。本貫は定州高陽県。宰相の許圉師の六世の孫にあたる。
文宗の大和6年(832年)、進士に及第、当塗県・太平県の県令、監察御史などを歴任したが、病弱のため免職された。その間、郷里に在任したことがあり、そこの丁卯澗(ていぼうかん)に土地を買っておき、晩年は引退して引きこもった。
今日、『丁卯集』2巻が残っている。
許渾の作品に、『秋思』(七言絶句)がある。
秋思 | |
琪樹西風枕簟秋 | 琪樹(きじゅ)の西風 枕簟(ちんてん)秋なり |
楚雲湘水憶同遊 | 楚雲(そうん) 湘水(しょうすい) 同遊(どうゆう)を憶(おも)う |
高歌一曲掩明鏡 | 高歌(こうか)一曲 明鏡を掩(おお)う |
昨日少年今白頭 | 昨日の少年 今は白頭 |
「山雨来たらんと欲して風楼に満つ」
許渾の「咸陽城東楼詩」の「渓雲初起日沈閣、山雨欲来風満楼」から。山雨が降り出そうとする前にまず風が高楼に吹きつけてくる。転じて、今にも大事件が起こりそうな、穏やかでない雰囲気が立ちこめている状態のたとえ。
当時は唐王朝の衰退期にあたり、将来を心配する気持ちの現れと見られている[1]。
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