西田郁平

衆議院議員 ウィキペディアから

西田郁平

西田 郁平(にしだ いくへい、1881年明治15年)2月18日[1]1956年昭和31年)8月11日[2])は、衆議院議員立憲民政党)、弁護士

Thumb
西田郁平

経歴

和歌山県東牟婁郡那智村(現在の那智勝浦町)で、西田業平の息子として生まれる[3]和歌山県立田辺中学校第一高等学校を経て、1909年(明治42年)に東京帝国大学法科大学仏法科を卒業した[4]。卒業後、海軍で経理官として勤務し、中主計(主計中尉)に任命されたが、間もなく官を辞した[4]。その後、和歌山市で元代議士の阪本弥一郎とともに弁護士事務所を開いた[4]

その後、和歌山市会議員に当選し、1929年(昭和3年)から1931年(昭和6年)まで議長を務めた[5]

1930年(昭和5年)、第17回衆議院議員総選挙に出馬し、当選。当選回数は合計で3回を数えた[6]

1942年(昭和17年)の第21回衆議院議員総選挙では大政翼賛会の推薦を受けたが落選した。

戦後、公職追放となる[7]1951年(昭和26年)追放解除[8]

その他、和歌山商工会議所顧問を務めた[6]

親族

  • 長男 西田修平(陸上競技選手、オリンピック銀メダリスト)[3]

脚注

参考文献

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.