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西山 俊樹(にしやま としき、Toshiki Nishiyama、Toshi Nishiyama、1947年10月16日 - )は、日本のモーターサイクル(トライアル、モトクロス、エンデューロ、ラリー)ライダー、実業家。
幼少期から大学まで神奈川県横須賀市で過ごす。関東学院大学工学部機械工学科卒。父は全日本モーターサイクルクラブ連盟(MCFAJ)の創立に携わり、初代事務局長を務めた西山秀一。
1970年12月に渡英[1]、1971年にイギリスのトライアルにほぼ1年間参加し、人脈を築くとともにルール、テクニック、セクション、コース、マシン、マネジメントなどについて学ぶ。[2] 1972年1月に帰国。トライアルの正式なルールを日本国内に紹介し、またイギリスで得た人脈をもとに海外の著名ライダーと国内メーカーの橋渡し役をつとめた。
帰国後は株式会社トシ・ニシヤマを設立。ブルタコ、アームストロング、マイコ、KTM、JCM、エルグレン、アピコなどの外国製オフロードバイクやオフロード用品を日本に輸入し紹介した。特にKTMは1983年にKTMのErich Trunkenpolz社長から要請を受け輸入元となり[3]、2002年まで日本総代理店を務めた。[4]
ISDT/ISDEには1971年に日本人として初出場し、1990年まで計10回出場。本来は国別・クラブ別でチームを作って戦う競技であるが、日本からの出場は長らく西山一人だけであり、国旗を持って一人だけで入場行進する姿は海外のレースファンの記憶に深く残ることとなった。2018年にイタリアで開催されたTrophee de Nationsに招聘され、海外のファンの前で久しぶりに雄姿を見せた。
また、モーターサイクルレスキュー連盟を設立し、2日から3日にかけて行うエンデューロレースやトライアル競技会を開催。日本国内に本格的なエンデューロレースのルールやコースを紹介し、本格的なエンデューロレースが普及するきっかけを作った。また海外の著名選手の招聘にも尽力し、オフロードレースの発展に貢献した。
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