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もともとひとつの地域であった宮の沢(西区)とは、北海道道128号札幌北広島環状線(追分通)を挟んで接している。
札幌市北西部、手稲市街地の最南端にあり、西区に隣接している。国道5号(北5条手稲通)の両側に広がる地域である。
1871年(明治4年)、仙台白石藩の藩士たちが北海道に集団移住し、白石村の基礎を造った。しかし翌1872年(明治5年)、三木勉が率いる52戸241名は再移住を試み[3]、発寒村に入植。これを機に分村が行われて手稲村が誕生した[4]。彼らは中の川の沢地に上手稲神社の前身となる小祠を祀り、その周辺は「宮の沢」と呼ばれるようになった[3]。
宮の沢の北西部は「追分」と呼ばれていた。1869年(明治2年)に開拓使が馬の放牧地を設け、馬を「追い分けた」場所だからである[5]。追分には前述の白石藩士たちの来訪以前から、アイヌを含む居住者が何人かいたといわれるが、当時はツルの産卵地であったというほど手つかずの原野と森林が広がっていた[6]。
その後も1883年(明治16年)の山口県人10戸の入植以外には大規模な開墾もなく、発展を重ねていく近隣の他地域からは取り残されがちな傾向があった[6]。しかし1967年(昭和42年)3月の札幌市との合併[4]から10年を経るころには、宅地化が急速に進行した[6]。
西区から手稲区の分区が行われた1989年(平成元年)、それまでの「手稲宮の沢」という町名は廃止され[7]、西区側は「宮の沢」となり、手稲区側となった地域は「西宮の沢」となった[8]。
地域の宅地化が完了した21世紀初頭でも、西宮の沢周辺には「追分通」や「追分川」のように古名を留める事物が見受けられる。
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