西井菫斎
明治時代の浮世絵師 ウィキペディアから
明治時代の浮世絵師 ウィキペディアから
西井 菫斎(にしい きんさい、慶応3年8月24日〈1867年9月21日〉[1] - 没年不明)とは、明治時代から大正時代にかけての円山派の日本画家。
月岡芳年及び森寛斎の門人。本名は西井祐造、桑杉居、破甑堂と号す。字は宗彜。江戸(東京市)にて生れる。『増補浮世絵師人名辞書』(昭和5年〈1930年〉刊)に「年寛 芳年門人、西井祐造、菫斎と号す。後森寛斎に学ぶ、慶応三年生」とあり「年寛」と名乗っていたことが知られる。明治19年(1886年)ごろ芳年が門人たち27名に宛てた書状(芳年門人一覧)には、「本所若宮町六番地 西井祐造殿」とある。明治26年、第二回絵画共進会に「上毛甘楽川水源の雪景」を出品する[2]。明治28年、京都で開催された第四回内国勧業博覧会では「鎌足奉鞾図」を出品しており、『第四回内国勧業博覧会授賞人名録』によればその住所は「東京府北豊島郡日暮里元金杉村」であった。大正2年(1913年)刊行の『帝国絵画名鑑 現代之部』には「帝国絵画協会の会員にして、現に東京市本郷区東片町百十四番地に住す」とあり、また余技として木彫を能くしたという。
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