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蜷川元勝

安土桃山時代から江戸時代にかけての武士 (1590-1627) ウィキペディアから

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蜷川 元勝(にながわ もとかつ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の武士毛利氏家臣長州藩士。

概要 凡例蜷川元勝, 時代 ...

生涯

天正18年(1590年)、毛利氏家臣の蜷川元親の子として生まれる。

文禄元年(1592年)から始まる文禄の役で輝元に従って朝鮮へ渡海した父・元親が、文禄2年(1593年)に戦死したため、元親に与えられていた336石余の地と家督は、文禄3年(1594年4月1日に5歳の元勝が相続した。なお、元勝が幼少であったことから、文禄2年(1593年)9月11日に輝元は元勝の母方の祖父である佐世元嘉に書状を出し、元親の跡目は元親に継がせるので、後家となった元嘉の娘に言い聞かすよう伝えている。

慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に毛利氏が2か国に減封されると、元勝の知行も336石余から200石に減らされた。

慶長9年(1604年3月3日、輝元の加冠を受けて元服し、「元」の偏諱を受けて「蜷川新三郎元勝」と名乗る。また、慶長14年(1609年12月30日には「右衛門」、元和4年(1618年)には「四郎左衛門尉」の官途名毛利秀就から与えられた。

寛永4年(1627年8月7日に38歳で死去した。家督と200石の知行地は、寛永6年(1629年)に子の就之が8歳で相続した。

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参考文献

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