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日本の江戸時代中期の大名。阿波徳島藩5代藩主蜂須賀綱矩四男で、阿波富田藩3代藩主及び徳島藩6代藩主。従四位下侍従・淡路守 ウィキペディアから
徳島藩第5代藩主・蜂須賀綱矩の四男。母は安西作左衛門の娘・架祥院。初名は正員(まさかず)。通称は隠岐。
当初、兄吉武が阿波徳島藩の世子となっており、正員は阿波富田藩主・隆長の養子になった。正徳4年(1714年)11月16日、養父・隆長の死去により富田藩主となる。享保3年(1718年)2月15日、将軍徳川吉宗に御目見した。
享保7年(1722年)12月18日、従五位下隠岐守に叙任する。後に淡路守に改めた[1]。
享保10年(1725年)7月4日、長兄・吉武が早世したため、宗家に戻って世子となる。このため、富田藩は所領を徳島藩に返納して廃藩となった。同年12月7日、従四位下に昇進し、将軍徳川吉宗の偏諱を受けて宗員と改名した。後に侍従に任官した。
享保13年(1728年)1月23日、父・綱矩の隠居により家督を継いだ。
享保20年(1735年)6月7日、死去。享年28。次男・文太郎(のちの重矩)は幼少だったため、一族から宗英を養子に迎えて跡を継がせた。
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