藤野政高
日本の政治家 ウィキペディアから
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藤野 政高(ふじの まさたか、1856年6月27日(安政3年5月25日) - 1915年(大正4年)6月30日)は日本の政治家。衆議院議員、海南新聞社長。
1856年(安政3年5月25日)、伊予松山藩士の子として生まれる。藩校明教館に学び、のち上京して法律学舎で法律を修め、代言人の資格を取得する。1878年(明治11年)に帰郷し、長屋忠明らが主宰する自由民権結社・公共社に加入、愛媛県下における民権運動の中心として活躍する。1886年(明治19年)に愛媛県会議員に当選し、1887年(明治20年)に三大事件建白者の総代として上京するが、保安条例に抵触して東京から強制退去させられる。1890年(明治23年)に第1回衆議院議員総選挙に立候補して当選、以後3期に渡って代議士を務めるが、資金難のため1894年(明治27年)9月の総選挙には出馬しなかった。その後、憲政会や政友会の愛媛県支部代表や「海南新聞」社長を務めるなど、愛媛県の政界に影響力を持ち続けたが、1909年(明治42年)の三津浜築港疑獄事件で逮捕され、政界を引退する。
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